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  • 2015.09.30 Wednesday
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近所から漏れる痺れる様なカイカン



title:大和町で地面を掘る人達



スコップで土を掘ったり、地面を壊したり、壁を塗り替えたり、ブルトーザーを動かしている人達を見ていると手汗をかくような感覚になる。

『お前は?お前はやらんでいいがか??!』って俺がいつも俺に聞いてくる。

それは、前々からずっと思う事だ。


痺れるカッコヨさ。


以前は下町や歓楽街に生きる人々を見たさに散策してスケッチをしていたけど、最近は近所とか仕事先の近くなんかの家屋の解体現場や、道路の補修工事、鳶の現場とかを探してはボーッと眺めている事が多くなった。

なんでもない住宅街を練り歩いて、耳を澄まして物をガンガン叩いたり、金属を切ったりする音が聞こえる方向を探し当てる。

そんな、音に耳を立てながら住宅街の迷路の中ひた歩き、工事の現場を探し当てたときが僕の今なんともいえんカイカンだ。


ドゥルウウウウウウウウう、ガンガンガン。キッーーーーーーッ。



title:地面を削る人の木版画。小学生レベルとある人にお褒めの言葉をいただいたw




近所からでも常に痺れる様なカイカンを感じながら生きたい。




釜ヶ崎のたき火!!!!!(4日目ラスト!!!)


TITLE:日本の香港美園



四日目


五日間大阪に行ってきたわけだけど、この日が実質一日中行動できる最後の日になる。

となると、やっぱり僕は西成の釜ヶ崎に行きたいのだ!!!


萩之茶屋駅に着き、一度来て慣れたのと地理感覚も掴めていて足取りは軽い。 

でも、70歳くらいのボロボロの服を見にまとった娼婦や、わめき声を発しながらヨタヨタ歩く人達とすれ違うとやっぱり気が引ける。





三角公園に着くと一昨日来たとき同様に、公園内で労働者達がたき火をしていた。
おそらく、三角公園のたき火を囲むその円陣こそが釜ヶ崎で一番ディープな場所であろう。

労働者しかいない三角公園の中は釜ヶ崎の中でも異世界で、僕は意を決して公園内に入るまでにぐずぐずと30分くらいかかった!

気持ちをリラックスさせる為にビール片手にベンチに座りスケッチをした。
野良犬達が走り回り喧嘩をし、たくさんの鳩達と労働者で公園はいっぱいやった。




title:三角公園のベンチで



そして、僕はたき火に向かった!!!

たき火にはおよそ20人くらいの人達がいて、中にはまだ小さな小さな子供が3人いて年寄りの労働者達に物凄く可愛がられていた。
それこそアニメのじゃりんこチエくらいの年齢なのだが、実際今の時代目の前にドヤ街の中に真っ黒な顔をした子供がいた事が衝撃で信じれんかった。


たき火に入ると僕の隣にはジブリの映画に出てきそうな大ばば様の様な人がいて、スケッチブックを持つ僕に話しかけてきてくれた。
新世界の将棋クラブを描いたスケッチをおおばば様に見せるとめちゃめちゃ喜んでくれて他のみんなも寄ってきてくれて打ち解けていった。
今思うと隣が大ばば様じゃなかったらどうなってた事か。。

大ばば様の焼き芋を食べる姿がなんとも愛おしかった。

僕は人のスケッチを描き始める時はしばらく相手と話して、仲良くなってから『今!』って時に描き始める。
みんなと打ち解けてきたら、GO!だ。

描いてたらみんながみんな寄ってきて『兄ちゃん絵ほんまに好きなんやなあ〜』とか、労働者達が持ち前の知識を振り絞って歴代画家の名前を僕に言ってくる(ほとんどがゴッホ)。



title:萩之茶屋が舞台のアニメ『じゃりんこチエ



たき火に当たる連中の中にやたら声の大きな怒声を上げ、労働者に指示を出す70歳くらいのじいさんがいた。
彼が一度怒声を出すと周りの人間はピシッ!と身体が固まり、時が一瞬止まる様なイカついじいさんだ。

じいさん『俺は描かんでええぞ。』
絵がだいぶ描き進んだ僕にそう言ってきた。

サク『すいません、もうバッチリ入っちゃいましたw』

そしたら、身も凍る様な怒声が飛んできて僕を含めたき火にいた人ら全員の表情が一瞬止まった!!

じいさん『俺はな釜ヶ崎一番の輩じゃ!仕切っとんじゃ!!お前が俺を知らんちゅう事はよそもんちゅうこっちゃ!お前もしカメラでも向けらぁそれこそただじゃおかんぞ。分かったんかい!今日は黙って描かしとるけどここのたき火、焼き芋全部俺が払うとんのじゃ!俺のもんじゃ!!!!』


実際目の前でこのイカついおっさんに怒鳴られようもんならもう、『はい、すいません』としか言えない言えない。本気でビビった!!!



とはまあ、それからもガシガシ描く僕を見逃してくれた事に感謝したい。
興味無さそうにしてんのに、遠目でチラチラ見てくる姿が嬉しかった!!!


夜も更けて皆もチラホラ帰りだし、当番なのか最後に残った老人が『ゼーゼーっ』いいながら、たき火の片付けをした。


僕がたき火を経験したのは生まれておそらく2,3回の事だ。

今回は場所が場所だったけど、誰でも入って円になって身を暖め初めは今日の寒さなんかの話題を取り上げ、話がだんだんと盛り上がっていく。
こんな事が僕にとってとっても大事な事と思えたりする。


title:たき火を囲む労働者達



ただ、ここに子供を描かなかった。
ホント悩んだけど僕は描かない方がいいような気がしたし、スケッチの中に子供を入れる姿を労働者達に見せれなかった。

僕はドヤ街の物珍しさが好きなわけじゃなく、ドヤ街の中に見える一瞬が好きやから。
ここに子供はいたら駄目だ。






大阪四日目の日記はこれで終わり。

五日目はダラダラ過ごしたから日記はこれでおしまい。(大阪番外編はあるかも!?)




僕がモーレツッ!にぐっときて描いた『たき火』の絵は今まで描いたスケッチの中でもほんまもんのスケッチを自分ながら描けたと思う。
その場、その瞬間、その時の自分の呼吸と勢いでしかできないほんまもんの『現場の絵』になったと思う。

多分2回おんなじもん描くのは無理やし、次また三角公園に行ったところでたき火に混ざれるかも分からん。



たき火が日常的にされているという事、じいさんに怒鳴られた事、みんなが優しくたき火に入れてくれた事、そこに真っ黒な小さい小さい子供がいた事。

『たき火の絵』はこれからの僕にいろんな事を問いかけてくる絵になった。



大阪にまた行きたい!!


僕が描きたい全ての事があるような気がした!!!

大阪おおきにっ!!!!!

くまさんと言う男!!!(2.5日目)

 
title:写して現像したものくれ!とせがむ労働者


2.5日目

釜ヶ崎で佐藤さんをスケッチしてる時に、知らない間に僕の周りには人だかりが出来ていた。

『うまいうまい!』
『似とる似とる!』

大阪の人はめためた褒めてくれる。書きごたえがある!!!

そんな時、僕の肩をちょんちょんと叩き、指を三本立て口は動かすものの声は出せず、顔に傷を負ったおっさんがボディーラングエージで話しかけてきた。

おそらく話す事の出来ないその顔の恐いおじさんの登場に僕は驚いて困惑していると、周りの労働者達のにやけた表情。

実は全然しっかり喋れる人。
僕を脅かそうと冗談をかましてきたのだった!!!


title:くまさん

どうやら300円で描いて欲しいらしい。
ごめん、やっぱ250円しか無いと言われ、
よしわかった!と釜ヶ崎価格で僕も乗って描き始める!

くまさんは周りから『くまさん』と慕われていて、僕がくまさんをスケッチ中『くまさん100円貸してくれ』だの『くまさん酒飲みに行こう』だの横からチャチャを入れる連中が盛り沢山!!!


そしたらくまさん『先生が集中できねえだろう!!!!』と一喝!!!


『丹下段平は香川照之じゃなくてくまさんがやるべきや!!!』とスケッチ中あしたのジョー的なこの一コマに僕は胸踊った!!!

くまさんを描き終えるとくまさんは大変満足した様子やった。
他の仲間に300円で絵を描いてくれる画家がいると言って人ごみが集まってきたので退散!!!


title:くまさんのお叱りを受けながら写真を撮らされる労働者が撮った一枚


あとで、くまさんからもらった三枚の硬貨を確かめると100円一枚に、50円玉二枚でしめて200円やった。

そして、くまさんが去ってくまさんにお金を借りようとしてた労働者が僕に100円を貸してとせびってきた。焼酎が飲みたいけどあと100円足りないらしい。僕は100円あげた。


焼酎一本買うのに大変な人達が僕の絵をたった200円だけど買ってくれた事が嬉しかった。


こんな嬉しい事なかったホント。




title:釜ヶ崎のホルモン串とレバー串しか置いてない立ち飲み屋


スキップしたくなるような気持ちで三角公園を後にして、近くの立ち飲み屋へ。
ここの前で描いてるともう、見た目喋り完全ヤクザの客に話しかけられる。

『兄ちゃんうまいやんけ〜でもな、兄ちゃんこの街知っての通りや。ええ奴らばかりと違う。絵や写真なんか撮ってると蹴飛ばしてくる連中もおる。でも、わしがここで飲んどるうちは守ってやるからな』

大阪の人ってなんでこんなあったかいんやろ?マジでめためちゃ嬉しかった。
すぐ仲良くなれる。

ホントに引っ越したくなった。
僕の思う全てがある様な気がした。


描き終わり、嬉しくて嬉しくて僕はその立ち飲み屋で何喋ってるか全然分からないじいさんの話をうんうん頷いてるだけで、話も聞かず関西弁が聞こえてくる心地よさにずっと酔いしれていた。


二日目終了

まだまだ続く。。

うっ〜ん、モーレツッ!釜ヶ崎!!!(2日目)


title:天下茶屋方面から釜ヶ崎へ向かう途中にあるかっこいい駄菓子屋






大阪二日目

 
今日はスケッチをするから彼女とは別行動を取る。

僕はもちろん西成へ!

今日は釜ヶ崎に行く予定やった。

釜ヶ崎は日本最大のドヤ街と呼ばれこの街にうろつく人間は日雇い労働者、ヤクザ、それに近年高齢化が進むこの街で働くヘルパーくらいのもので地元大阪人は絶対に近寄らないと言う。

それもそのはず、近年では市橋容疑者がここで生活していたのも記憶に新しいが、跡のつかない労働者の闇市を利用して睡眠薬の売買を行っている事でも知られている。


これまた、山谷同様山の様な自転車が放置されており、異臭と首輪をしない犬が商店街を練り歩き、『とうとうやって来た。』という実感が湧く。


高層マンションとシャッター街の山谷と比べ、釜ヶ崎は鮮度を保った昔の風景を維持しており、平台のインベーダーゲームが置いてある古〜いっゲーセンが未だ現役で活躍してる事にびっくり。
とにかく、物価が他の地域と比べ格段に安くお好み焼き200円、ご飯50円、ホルモン串60円など食べてはいないが(ちょい怖いよね。。)聞いた事の無い様な値段で売られている。





title:福岡弁を話す佐藤さん


そんな釜ヶ崎で生活する労働者の集まる場所が三角公園である。
その公園付近はもう隣接している商店街との空気が一変し、とても近寄れる様な場所ではなく公園内は顔が黒くなった労働者で溢れ帰っていた。


僕は公園を一周し公園淵の花壇に腰を下ろす。
ちょうど僕の隣に座っていた優しそうな労働者と話をする。

名前は佐藤さん。
佐藤さんは福岡出身で東京の山谷にもいたが釜ヶ崎の方が落ち着くらしく、ここで生活している。
佐藤さんは喋るんが大好きなんだけど、首に巻いたタオルを口に当てながら喋るから全然なに言ってるか聞こえない。

サク『ちょっと、タオル取らんと聞こえんねかよ!』
佐藤『おらもう一ヶ月風呂も歯も磨いてないから臭いやろ??』
サク『俺も2,3日くらいやったら平気やからいっちゃよ!』

佐藤さんのこのおかしな気配りが嬉しくて、それまで気が高ぶっていた僕も気が緩みここで大阪初スケッチ!!!


title:佐藤さんの字と僕の絵の合作


水木しげるの漫画に出てきそうなメガネをかけた佐藤さん。
実は本も読めないし、字も書けないという。

よし、じゃあ合作しよう!
との事で佐藤さんに字を教えながらサインしてもらう。

途中『佐藤ユキハル』のカタカナの『キ』が出てこなかったらしく、『ユハルでいいっちゃね!』とか言いつつ結局思い出し変なバランスの字に。


大阪に来て初めてたくさん会話したのが佐藤さんやった。

その後、僕は多くの大阪人と出逢うのだが緊張をほぐしてくれた佐藤さんに感謝したい。


PS 別れ際の佐藤さん『佐藤って名前もいいなぁ〜』
      



佐藤じゃないんかいっ!!!!!!おそらく偽名だろう。。



まだまだつづく!!!!!

山谷という幻まぼろし


title:山谷の風景(2010)


先日山谷に行ってきた。
いわゆる山谷はドヤ街と言われてきた街で今も尚多くの高齢化の進んだ日雇い労働者達がここに生活を構えている。

その日は友人の直嶋さんと三ノ輪、南千住あたりの飲み屋でひっかけに来るついでに寄ったのだった。

初めて山谷に来た時は温かい春の季節でいろは商店街の前には昼間から外飲み始めるたーくさんの日雇い労働者達が、コンビニに高校生がたむろするかのごとく、商店街の入り口からほど近い酒屋の前と酒屋の向かえの空き地にたむろして飲み明かしていた。

日雇い労働者の中でもいじめがあるようで、70歳くらいのじいさんがこれまた70歳くらいのじいさんにワンカップの空き瓶を『じじい、死ねーーーーっ!!』とかなんとか言いながらぶん投げてる光景を見て僕は衝撃を受けたのを覚えている。

そして、『あしたのジョー』が大好きな僕にとって泪橋といい興奮さめやらぬ街でもあった。


そんなこんなで今年初の山谷であったが、いろは商店街の前には10数人程度の飲兵衛達と80歳くらいのじいさんが二人寝ながら(おそらく立つ事が困難)自転車の取り合い(後に救急車で運ばれていった)をして喧嘩してる様だった。
大分街が落ち着いていた。

それでも、少しここでスケッチをするのは緊張する。
景気付けに労働者がたむろする酒屋で缶ビールを1つ、しょんべんとクソ、ゲロとか汗がドッペリ染み込んだアスファルトに腰を据えスケッチ開始。


title:山谷の飲兵衛達(2011)

すると、飲兵衛達話しかけにきてくれる。
『あんたウマいね〜プロ?』
『あんちゃん聞いてくれよ。俺も昔は大型シャベルの運転士でね。俺は地球彫刻家だ!なんて粋がってだんだな』
『オラもこんな才能あったらこんなところ(山谷)におらんかったんにのう』
『あんちゃんまだ若いから頑張られ!わしらみたいになったらあかんよ』


とっても嬉しかった。話しかけてくれるのってとても嬉しい。

時にスケッチは写真以上に人と人を繋ぐツールになる。
絵だから安心するし、絵だから関心を寄せてくれる。
だから、無防備に近づける。


スケッチで『良い絵を描きたい!』という欲はもちろんある。
でも、それ以上に僕がグッときたその現場にいた絵のモチーフになった人達と話さなきゃ意味がない!
結局大切なもんはそこ!!
話すきっかけになるのがスケッチだ!!!


あしたのジョーの山谷は今はもう無い。
山谷という地名が日本堤という名に変わった様に、山谷、南千住には大きなマンションがたくさん建ち飲兵衛達がたむろしている酒屋の迎えの空き地には綺麗なマンションが建設中だった。
今では日雇い労働者達ではなく外国からやってきたバックパッカーがかつてドヤ街と呼ばれた街で寝泊まりをしている。

これが良いことなのか悪いことなのか一言でははっきり言えない。
けど、日本のどの景色も統一化されてきてその街に住む人々の『色』が生きにくい世界になってきているのは事実。(歌舞伎町とかも)

『南千住の駅もすっかり綺麗になっちまってニッカなんて穿いて練り歩けるもんでないのぉ〜』(飲んべえ達の会話の断片)

おそらく、あと5、6年後山谷という街は完全に失われてるだろう。

そんな街の『色』がまだかすかに残る山谷という場所で生きる人達と酒を飲み話が出来てよかった。


そして、明日からじゃりんこチエちゃんが待つ大阪の労働者の街釜ヶ崎に行ってきます。
どんな素晴らしい出会いがあるか楽しみだ!!!






暖簾をくぐってアリカンパーイ!!!

1月25日17時頃


 
title:木場の河本(店の壁側の席は常連客の証の席らしいw)

画像アップページhttp://www.flickr.com/photos/57324104@N03/5412607778/#/photos/57324104@N03/5412607778/lightbox/




江東区の木場に「河本」という有名な酒場がある。
それはそれはふる〜い酒場で、僕が今まで行った酒場、それどころか今まで行った飲食店で一番古い建物かもしれない。

先日はそこに飲みに、そしてスケッチしにいってきた!!

僕はこの店を「古典酒場」という雑誌に載っていた事から知って店のそのあまりにも凄まじいヴィンテージ感と、おそらく80歳を超えたママが一人厨房に立つ姿に一目惚れして何の知識も持たず「河本」にやってきた。

店を入るなり常連客と思われる人達とママの僕を見る目が、宇宙人を見る様な目で少し戸惑いを覚えながら席につく。おそらく、「店を間違えたんじゃない?」と思ったんだろう。

そして、ビールを頼む。

すると、ママと常連客の顔がぽかーんとしてる。

???
皆の視線が痛い。。。

じつはここホッピー専門店なのだ。
一応新参者の為にビールは用意してあるが、ほぼホッピーしか出ない。



こういう古い酒場には必ず店主導のルールと、それを導かせる案内人(常連客でも主的なひと)がいる。

案内人に煽られママが栓を抜く直前にビールをキャンセルし、ホッピーにする。
すると、常連客の安心した笑顔にぼくも少し気がゆるむ。

何か食べたいと思いメニューの中から煮込みをチョイス!

したら、隣から案内人「正解!」との一言。

本来いろんな店ではメニューを頼む順番も糞も無いのだが、こういった客と店主がどちらも得をしないような、不合理的な訳の分からないルールがあるのは嫌いじゃないし、こういった古い酒場に来ると自分が折れてしまう。

こういったルールを体感することは、未だ残るこのヴィンテージな店で飲める事の安心感と喜びにそれは変わっていく。

そして、この店のホッピーと煮込みの美味さにさらに喜びがます!!!





title:なんと店の営業時間は16時から20時までしかやってない!!!!






常連客とママの会話に聞き耳を立てながらスケッチ!!!!!

ママは「ますみさん」と呼ばれていてこの店は二代目だと言う。
木場は海が近い事もあり、とっぽい船乗り達が身体に彫った刺青を見せびらかしては河本で飲み、暴れては外に放り出していたという。


そのくらいの根性が無いと何十年も店は勤まらない。

ますみさんのこのたくましさとこういった古い酒場のルールがあるからこそ、まだまだこの店はイキイキしてんだなあ〜

天徳湯の大きな鏡


title:天徳湯の大きな鏡(アップ詳細画像


僕は銭湯が大好きだ。

僕が銭湯が好きなのには理由がある。



僕の好きな場所は近所の人がスッピンで、肌着で、サンダルで事足りる生活空間がある場所だ。

それは、近所で生活する人たちが肩に力を入れず通った酒屋、床屋、居酒屋、米屋、八百屋、金物屋.。
そうやって近所の人達が家族同然で井戸端会議をしながら付き合う事のできた時代ちゅうのはこういった商店街で活躍してきた専門店のおかげだと思うんですね!!!

んで、その中でも銭湯は地域社会きっての史上最高の社交場だと僕は思ってるんです。

やっぱり、銭湯に行ったら必ずといっていいほど近所のじいはん同士のたわいもない会話があるもん。そういうのって当たり前なんだけど今の時代それが当たり前じゃないから、余計グッと来るよね。


僕が大衆酒場、食堂、銭湯を愛してる理由にはやっぱり「人間の生身の生活!!!」がそこにあるからなんすよ!!!!人間感じるからなんすよ!!!


って、今日はちょい前置きが長かったけど今日のモーレツッ!!


天徳泉!!!





仕事帰りに同僚のつくねさんとたまに銭湯に行くんだけど、今回は阿佐谷北2丁目にある「天徳泉」に行ってきた。


そこの銭湯は外観も内装もいたって普通。
僕の好みはやっぱり唐破風造りで壁は富士山!!とTHE東京型銭湯が大好きなんだけど、ここは古いコンクリート打ちっぱなしに壁は花の壁画。

古くていい味だしてるけど僕好みじゃない。


でも、僕はモーレツッ!にグッときた。




title:近所の専門店を営む商店街の仲間達


脱衣場には男女部屋を分ける2メートルくらいの壁があるんだけど、そこには銭湯によくある大きな鏡が設置してある。

よく見るとその鏡は商店街の仲間から贈られた鏡らしく、店舗ごとに名前が筆で書かれている。あきらかに広告ではない。

その仲間達を全部合わせるとジャスコやイオンのような一つの大きなショッピングセンターが作れるような専門店がざっと並んでいる。



以前、日暮里の齋藤湯の番台のおっちゃんが言ってた。
「商店街があってこその銭湯だ。商店街の無いところに銭湯は存在せん」って。

確かに僕が住む三鷹市や生まれ育った富山県には商店街が少なく、大型ショッピングセンターを中心とする車社会では、あまり銭湯は見受けられない。

その昔銭湯は人々にとって必要な存在やった。逆に、銭湯も商店街があってこその存在やった。
持ちつ持たれつのこの関係がこの鏡から見えて僕はとてもぐっときた。


おそらく、鏡を天徳泉に贈った専門店のほとんどが今は廃業になってるだろう。
なぜなら、この銭湯を中心としたあたりにはぽつんぽつんと小さな店とコンビ二があるだけだ。


この大きな鏡は商店街がそこに存在して数字の競争ではなく切磋琢磨しながら街を作り栄えていた証だ。

そんな鏡だ。

でっかいビル建てたからって街じゃねえ!!!1つ大型ショッピングセンター作ったからって街じゃねえ!!!近所のおばちゃんたちが井戸端会議し始めたらそこが街なんだ!!!!!

この鏡を見るとなんだかそんな風な事を感じた。





PSつくねさん描き終わるまで待ってくれてありがとう!!!

年末のモーレツッな!出来事!!!in枝川!!!!!


title:朝鮮学校で皆で食べて歌った!!


年も明けてしばらく、今頃年末の事なんて書いてどんなつもりや!と言われる事と思いますが、本の製作、友人からの版画の仕事依頼も完了しやっとバタバタが落ち着いた。

そして、どうしても年末に体験したモーレツッを書きたかった。



以前の日記の記事で僕が朝鮮学校に行った事について書いた記事があったんはみなさん覚えとるでしょうか??【朝鮮と銀杏とフェルトペンと僕】



僕は12月29日江東区は枝川の東京朝鮮第二初級学校で行われているアーティストアクションin枝川で行われていた展示のイベントの一つ12月29日(つまり肉の日!?)に参加者や近所の人、展示を見に来た人そして朝鮮学校の在校生、OBの方達と取り壊される旧校舎を偲び学校内で皆で囲んで焼き肉を食べようという企画に行って来たのだ!


会場には約200人はいるであろう人と七輪と焼き肉とキムチの数で溢れかえっていた。
校舎自体とても小さいのだけど枝川裁判の集会場を作る際に小学校の教室3つの壁をぶちやぶり大きな会場を作ったのだという。




もちろんここは焼き肉屋では無く教室なので換気扇は教室3つ分だから3個しか無いので3
m先が見えない程焼き肉からでる煙でいっぱいでその光景は圧巻だった。多分もう死ぬまで見る事はなさそうだw



僕はどうせなら朝鮮の方達と焼き肉腹いっぱい食いてえなあっと思ってビール片手に席探してると。。いました!僕好みの強烈なおっさん!!!





title:キムソンテさんと僕


キムソンテさんとにかくゴクゴク飲むし、ムシャムシャよく食べる!
僕がどんどんおかわりの肉を持って酒をついでも全く止まらず、完全に負けてしまったw
話は超楽しいし、すぐ仲良くなれた!!

実はキムソンテさん枝川裁判のリーダーらしく在日の歴史と朝鮮学校の生い立ち、いろんな事を一生懸命教えてくれた。
教えてくれたっちゅうよりここの歴史を伝えようと僕らに必死で喋ってくれた。僕は帰ってから在日についていろいろ調べたから、そのときはここの歴史は少ししか分からんかったけどその一生懸命さに僕はすごい胸打たれるもんがあった。



title:手拍子をとるソンテさん


そして、ステージでみんなが朝鮮語で歌を大合唱し始めたとき涙を流しながら手拍子をして一緒に歌っていたソンテさんを見てると『俺は昔の歴史の事とかよう知らんわ〜』とか『俺難しい事興味無いわ〜』とかでは無く、『僕が現在(いま)ここに生きとるんは過去に歴史があるからなんやな』ってこんなに強く思った日は無かった。


枝川裁判について【ソンテさんの声に近い記事】必読!!!

みんなこの朝鮮学校の為にOBが駆けつけみんなとてもこの学校を守り、愛してたんが伝わってきた。

この日はすっげえ幸せな気持ちになった。
みんなカルビホルモンつつきあって、大合唱して誰それ関係なく喋り飲み笑った。

僕らは絵が描けたから僕が気に入った人を描いてたらみんなが集まって来てくれて仲良くなった。

title:積極的に「わたしも描いて!」と言ってきた俳句を書いてるわかち愛ちゃん(写真左)


後ろの方で朝鮮人参のような髭を生やした仙人が『同胞よ!立ち上がれ!』みたいな事をマイクを持って叫んでいた。

普段は決して笑えない様な政治の事とか社会の事とか色んな事がぜーんぶ一緒になって腹一杯笑える夜になった。

その人の絵を描いて見せるとそんな喋らんでも、たくさん会話したような気持ちになる。



いろんなことあっけどゲラゲラ笑いたいなあ!!!!!!!



正月の富山。そして作村家の今年の目標!!!!

僕は富山出身だ。
どんなに忙しくなっても、地震や津波、戦争が起きようと必ず正月は実家に帰るつもりだ。

1月1日に祖父作村五郎を中心とするその一家が全ておじいちゃんの五郎家に集まるからだ。
映画サマーウォーズとまでは言わないが作村家が集まれば結構な人数にもなる。

だから、じいちゃんのうちには部屋いっぱいのおせちが並ぶ。
じいちゃんはこの正月をとても大切にしている。
僕も大事にしたい。
今はなかなか会えなくなった、ガキのとき一番の親友だった従兄弟達の顔を見るだけでも
東京色に染まりきった僕をホッとさせてくれる。

ふるさとはそんな場所でとてものんびりしすぎてスケッチどこではなかったけど、富山での描き初めのスケッチを何点か。


8号線を走って



景色が走る




魚津の街




浜黒崎の田んぼをバックに寝る乗客




金沢にいた猫






家の裏のうちっぱなしにて(弟)




ゴルフが大好きなする父。使う場所は39(サク)番と決まってるらしいw




作村家は永遠に小学生のままだ。
遊び疲れた。







PS  カラスVS作村家




富山の人でも知らない人も多いと思うけど、夜の21時を過ぎると富山駅前のボーリング場の向かえの木、そして電線、から郵便局にかけて尋常じゃない程のカラスがねぐらとして整列して止まっている。
その光景は圧巻というべきか見ると気持ち悪くて寒気がする。

だがしかし、僕たちバカ親子はあろう事かその大量のカラス達にイタズラしてやろうとその大量のカラスめがけてカメラのフラッシュをバシャバシャ!!

その瞬間何百羽のカラス達が一斉に飛び出してきて、その羽音はまるで20階立てビルが崩れ落ちるんでねえか?ちゅうくらいの轟音だった!
恥ずかしい事にビビリすぎた僕は生まれて初めて腰が抜けてしまった。

腰が抜けると本当に立てなくなるんだね。。

後ろを見ると父も腰が抜けて雪の上の地面に倒れ込んでいた!!!!!

ちなみに、別の日同じ場所で大量のカラスの存在を全く知らなかった母はちょうどおでこにフンを落とされていた。

作村家の今年の目標は総出でカラスを倒すことだ!!!

牧野伊三夫展とセンター街の八百屋さん!!!


12月19日

原宿のHBギャラリーで毎年この時期になると恒例だという「牧野伊三夫展」に行ってきた。
僕が牧野さんを知ったのは根津にあるやぶさいそうすけというギャラリーのホームページを見ていたらたまたま発見して、作品は少しだけ掲載されていただけだけどすごく気になった。


若輩者の僕が言うのもだけど、今画家という存在自体どういったところで活動してくのか?のようなもののヒントが牧野さんの絵をインターネット越しに見た時に感じて、なにより僕が描きたい世界とすごい近い様な気がした。

牧野さんは画家としての活動以外に広告のお仕事などされており、その表現方法は様々で今回の展覧会も油絵、クレパス、木版、木炭、水彩、とにかくいろんな素材を使って絵を描いていて一つのスタイルを持って描き続けるという感じではなく、純粋に絵を描く楽しさと自分の落ち着く素材と表現を抗う様に探し求め続けてきた様にも感じて、どちらにしても画家ならではの喜びと苦悩を合わせ持っているようで僕は『この人は画家やなあ』と思った。


展覧会には牧野さんもいらっしゃったけどギャラリーでの挨拶はなんだかかたっくるしいから、これからどこかで描いてれば必ず会える人や!と思いその場を立ち去った。


牧野さんの絵は朝起きて歯を磨いて仕事をしておやつを食べて、ごはんを食べてまた、歯を磨いて寝る様な日々の生活の呼吸がそのまま絵になったような絵だった。
緑茶をすすりながら一息つく為にあるような絵だった。


僕も生活を描いている。
どこかから引っ張りだしてきたものでなく、ただ生活する事から生まれるものを表現している画家がいる事になんだか僕はウキウキした。
僕はこの展示を見て絵をずっとどこまでも続けて行く自信がついた。






画像詳細:http://www.flickr.com/photos/57324104@N03/5281467449/#/photos/57324104@N03/5281467449/lightbox/


そう思うと絵が描きたくなってきて、帰り道の渋谷のセンター街の路地裏で八百屋を見つけ
た。
あたりの壁はものすごい量のグラフィティーで埋め尽くされていて、八百屋のシャッターは開店しているため確認はできなかったが、おそらくグラフィティーですごい事になってる事は間違いない。

このダウンタウンのような電線垂れ下がりの放置自転車とグラフィティーのジャングルで覆い尽くされた狭い狭い路地裏にある昔からある場違いの八百屋のたくましさに僕はズキュンズキュン心を撃たれまくって、描き始めた!

20時くらいから描き始めて終わって気づいたら23時を過ぎていた。

営業時間が書いてないから早く描かなきゃ!と焦ったけど終わる気配がない。

今思うとこうやって同じ場所に3時間も座って、この場所がどうゆう人達が通って何分置きにお客さんが来るかだいたい分かってくる。まさに、ねじまき鳥クロニクルだ。

だから、店番するおばちゃんは基本奥の椅子に引っ込んでいて少し時間が経つと顔だけ少し外を伺う。これを繰り替えす。


八百屋のおばちゃんに描き終わって見せて、しばらくお話ししてからその日は柿を買って帰った。


なんでも、35年も渋谷で八百屋をやっているらしく、朝11時から深夜0時までやってるそうだ。
買いにくる人達はほぼ飲食店の人達で住宅や生活感の無い渋谷で35年も続いてきた意味が納得出来た。いざ必要になった時の為のスーパーが渋谷には無い。


実はいき過ぎた都会の方がこういった路地裏の小さいな八百屋や商店が重宝されるんだなあと思った。



だから、大都会の街の雑踏とした神経ピリピリもこういった路地裏でたくましく生活する人たちがいるから大都会もおもしろいんだ!!!






 











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太陽
太陽 (JUGEMレビュー »)
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