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  • 2015.09.30 Wednesday
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わだは富山のゴッホなが!青森旅行に行く!!(一日目)

 



先月の終わりに僕は青森に行った。

前々から六月の終わりに二泊三日くらいで、どこかに旅に行こうと思っていたけれど直前になっても全く決まらず、遂に旅行予定日の前日になってしまった。

前日の昼間まで、芝浦から大型フェリーに自転車を載せて伊豆大島にスケッチでもゆるりと行こうかなと思っていた。


だけど、天気予報は東北地方以外はみんな雨。
急に選択肢が狭まったおかげで僕は、


「そうだ!青森だ!!」と思った。

僕は春に復興祈願を込めて東北に旅行に行く予定だった。けど、流れ流れて今に至っていることを思い出した!


僕は急遽青森行きを決意し、本屋に行ってとりあえず「るるぶ」を買って、高速バスのチケットやら宿やら色々すぐ手配して、その日の夜東京を後にした。








青森に着いたのは朝の9時。東京から高速バスで11時間もかかった。

青森駅は県庁所在地では珍しく駅から100メートルくらいいくとすぐ海が広がっている。






僕は青森県立美術館、棟方志功記念館を回った。

青森県立美術館は僕的には全然面白くなかったけど、青森のゴッホ棟方志功の大きな版画だけ土の匂いがプンプンするくら輝いていた。

だから、棟方志功記念館に着き棟方志功画伯のくったくのない写真を玄関で見た瞬間に「ようこそ!青森へ」と言ってるようでそれだけで青森に来て良かったと思えた。




そんな写真だった。




青森のゴッホ棟方志功



記念館には棟方志功のドキュメンタリービデオと作品が展示されており、片目の視力を失いながらもメガネを版木に擦り付ける様にガシガシと制作する姿と、彼の作りだす作品が重なって涙がでそうになった。

「身体ごと板画にならなければほんとうの板画がうまれて来ない」と津軽弁で一生懸命語る姿を見ると胸が熱くなる。

この後、旅の途中でさまざまな青森の人に出会い津軽弁を聞く機会があったんだけど本当に一生懸命話している姿に僕は胸をうたれた。何故か暖かい気持ちになる。







僕は一度青森駅に戻り駅周辺を散策した。

夏がくるというのに長靴。さすが雪国だ。

駅近くには市場が広がっている。



駄菓子の問屋街。青森駅そして、弘前周辺は昭和の香りが少し残っていた。


一輪購入した。


駅前にあるお土産やのご主人に青森駅周辺に飲屋街はないか?と尋ねた。

すると、『第三新興街』という昔の横丁を案内してくれた。

「青森のゴールデン街」とはここのことだろう。。





こんなに電線がくっちゃくっちゃに絡まった飲屋街は初めてだ。
そして、とんでもなくしょんべんくさくハエが路地の真ん中を牛耳って竜巻の様になっていた。
そんなしょんべんくさい飲屋街の二階からは洗濯物が普通に干されていて、


「アジアやな〜っ」

と気持ちが暖まる様なホッとした気持ちになった。



そして、青森駅のすぐ隣には「ワ・ラッセ」というねぶたミュージアムに行った。
ここにこれば昨年出品されたねぶたが一同に見れるのだ。



比べるものでは無いのかもしれないけれど、県立美術館に展示されていたどんなものよりもねぶたの造形美と圧倒されるエネルギーに完全にヤラレてしまった。。


棟方志功の絵のパワーがここから伝わって来た。





青森のねぶた。見えにくいが真ん中に立ってるのが僕。身長180cmの僕以上に大きく大きさが分かると思う。


青森のねぶた








そして、宿がある弘前へと向かう。


弘前は昔からの城下町であり戦火を逃れたため古い建物も残っており、懐かしい純喫茶、少し昭和の匂いのする飲み屋街、そして城下町特有の気品のある街並だ。

この古いビルには夜中までやっている喫茶店やバーが入っている。




弘前に着いたのは夜19時。

前の日に国の指定文化財の弘前で最も古い旅館「石場旅館」に宿泊する。
値段は素泊まり4000円くらいととても手頃だ。






明治初期から建て替えの無い旅館なのでとても趣がある。
風呂に入って早速「鍛冶町」という青森で一番の飲み屋街に足を運ぶ。




ピンク映画館もまだまだがんばっている。




棟方志功の影響?の飲み屋の看板


一通り歩き回り吟味した結果「なつめ」というお店に入る。

僕は自分で言うのもなんけど、いい飲み屋に行ける臭覚みたいなもんには自信がある。


『なつめ』のママとお店


入るなりママと従業員のおばちゃんが花札をしていた。どうも今日は暇でしょうがなかったらしい。

このなつめのママ。とにかく、おしゃべりがだーーーいすき!っで口が開きっぱなし!!!
津軽弁でのマシンガントークだから全然聞き取れない!

「わたしんとこはぜーーーーんぶ、500円だから安心してね!!!!」と言ってお腹が空いたという僕に得意料理だと言う冷やし中華を出してくれた。700円でw。


青森の郷土料理はイカを使ったものが多い




五木ひろしをカラオケで熱唱するママ

そんなこんなで僕は、内山田洋クールファイブ『中の島ブルース』、平和勝次とダークホース『宗右衛門町ブルース』唄って皆で大合唱する。

さすがママ。どこに行っても飲み屋のママは歌がうまくてうらやましい。何十年と唄い続けた声は今のJ-POP歌手よりかは遥かにうまく、背景に色んな物を感じさせるものがある。


カラオケを一段落させてママから女で一つ娘を育てて来た事や、これまで体験して来た事の人生の教訓やら、僕が将来大物になる?的なお褒めの言葉を頂いたりで、年配のママが営むスナック、酒場、特有のねっとりした会話を僕は楽しんだ。


僕にとって若い姉ちゃんと飲むより全然居心地が良い。


そんなこんなで青森一日目が終わる。

こんな楽しくていいのか青森?と酔っぱらいながら、
青森最大の飲屋街鍛冶町から今日の宿泊場所指定文化財の石場旅館までの道のりを弘前城のライトをたよりにブラブラ歩いた。






2011年3月11日の誕生日を忘れない【改(写真掲載とブログの最後に2012年3月11日追記)】





 2011年3月14日のブログ


ここに3月11日の出来事、僕の誕生日の日に何が起こったか書きたいと思う。

これはこの地震を経験していない遠くに住む家族や友達、親族、僕のブログを見てくれている人すべてと、僕自身の記録の為に載せます。



僕は誕生日のこの日を彼女と一緒に竹橋にある東京都近代美術館で開催されている生誕100周年である岡本太郎の個展を見に行くつもりだった。
僕はこの日をとても楽しみにしていたし、先月大阪で「太陽の塔」を見て感化された事もあり展示もとても楽しみにしていた。

その際新宿で乗り換えの為、西新宿方面へと出て丸ノ内線への地下への階段を少し降りたところだった。

おそらく、昼の14時くらいのこと。
地面が揺れだした。


初めは電車の揺れだと思ったけど、揺れはいっきに大きくなり歩くのが困難になる。
「これはやばい!」と思い、彼女を連れ地上に出て壁沿いにしゃがみ込む。

初めは少しゾクゾクとした好奇心が僕の中であったけど、隣でしゃがみ込む見知らぬ女性が手に持っていたバックを頭の上に覆っているのを見て、「命の危険」を少し感じた。

地震が続いてるのか続いていないのか分からないくらい脳天がぐるぐる回っている。
多分地面は揺れているのかもしれない。

周りの人達も顔が強ばって一つの方向に目を向けている。 
僕も視線をそちらに移すと西新宿の高層ビルが揺れている。
ホントに竹が反ったりを繰り返してる様な感じで、今にもこちらに倒れてくるんじゃないかって感じだった。

それでも、何度も言う様に僕は誕生日。ハッキリ言ってまだまだ僕は誕生日ムード一直線やった。

しばらくすると、地震が収まりおそらく電車も止まってるし、飲みにいこう!という事で昼間から思い出横町の老舗カブトへ。思い出横町の路地を入るとまず大鍋に入った煮込みが丸ごと路地に転がっていた。

おそらく、もう一度地震が来たら新宿で初めに潰れるだろうこのクソ古い店で何度もある余震を感じながら「酒を飲みながら死んでも本望!」というじいさん達に囲まれながら飲む。



title:思い出横町の中の名店『カブト』


すると、またも大きな地震。さすがに此処はやばいと思い、思い出横町を後にし映画館へ。

何度も言うが今日は僕の誕生日。この地震はインスタントなものと言い聞かせ、映画館は電車再開の時間つぶしと考えていて、僕はまだ岡本太郎展を見に行く事を考えていた。
ツイッターでみんなが騒いでるけど東北で何が起きているのか全く良く分からない状態だった。


しかし、映画館ももちろんやっていない。
新宿の街は混沌としていた。やたらお洒落な軍団が固まって外に出てるなあ〜と思ってみたらバーニーズニューヨークの店員さん達、長い帽子を被った中華料理屋の店員さん達も居酒屋で働くバイトの人達もみーーーーんなっ外に出てこの自体の異様さに少しワクワクしているようだった。実際僕もそんな感じだった。


やっている店がなかなか無い。

とにかく、腹が減った僕はハンバーガーが食べたくなってハンバーガー屋へ。
ロッテリアは閉まっていてマクドナルドだけ大繁盛していた。

僕はこのまま終わってたまるかと思い、たくさんのハンバーガーを買って新宿御苑の方へと向かう。あたりは、路頭に迷い歩き回る人達でたくさんだ。

次第に強い風が吹き出した。おそらく、地震の影響だろう。
さっきまでものすごく温かく、快晴だったのに強いさむーい風に曇天へと変わりあまりに寒くて玄関までしか入れないマルイで待機。

僕はやけになり、みんなの迷惑にならないところでハンバーガーを食べた。


夕方の16時くらいになってた。
もう岡本太郎展は無理だ。
僕は彼女ととりあえず、甲州街道沿いにある新南口に向かう事にした。





僕の誕生日はそこで完全に終わった。





新南口に行くと大勢の路頭に迷った人達が大きな大きなテレビのスクリーンを見て声を上げ、人々の表情は世界の終わりを見ているのかの表情だった。
こんな大勢の人が心配そうに見ている風景は見た事が無かった。

テレビの映像は、いくつもの大きな波が陸へと押し寄せる映像と壊滅状態の宮城沖だった。

テレビを見るまでこの地震の大きさを実感することができなかった。


tite:南口の巨大スクリーンで今日本で起きている事を確かめる人達



大きな災害、事件を見てきた。
9,11や地下鉄サリン事件、サカキバラ、イラク戦争に阪神大震災に中越地震。
でも、どれもテレビの中の出来事だった。本当にその事が起きているリアルが全く感じられないリアルに近い映画の映像を見ている感覚だった。


自分の身体の感覚として西新宿で受けた脳天がグラグラするようなさっきの地震が、このテレビの中の地獄絵図と一緒のものかと思うと急に寒気がして早く家に帰りたくなった。


17時半頃歩いて帰る為に甲州街道を八王子方面に歩き出した。
僕の家は三鷹だ。はっきりいって歩こうと考える距離じゃない。

しかし、電車は動いてないしタクシーを拾うにしても必ず先客がいて乗れず、交通渋滞でひどかった。
途中長い行列ができているバス停でバスを長いこと待ったが来るかどうかもわからないバスを待つのも参ってしまい、結局歩き出した。

ものすごい数の人が歩いていた。

歩き始めて2時間程でやっと永福町あたりに着く。もう限界だった。
寒くて、疲れて限界だったけどみんなのツイッター、ミクシイのいろいろな情報が励みになった。

どこかでタクシーやバスに乗れると思っていたけど渋谷、新宿方面のバスは動いていても逆方面のバスは全く無くどこのバス停も並ぶ気も失せてしまう様な数の人達でいっぱいだった。

途中休憩しようと思ったレストランはどこも満席でなくなくチェーン店の居酒屋で腹を満たす。寒くて寒くて仕方が無かったのでビールを飲まず熱燗を頼む。


井の頭通りは浜田山を過ぎても歩く人がたくさんいた。
もしかすると、吉祥寺や武蔵境、国分寺なんかまで帰る人がいるのかもしれない。。

ようやく、たどり着いた頃には夜22時を過ぎようとしていた頃だった。

身体が動かないくらい歩き回って帰ってきたら部屋の片付けだった。
今まで買った本やCDがワッシャワッシャのくっちゃくっちゃ。
その片付けをし、また大きな地震が無いように家の背の高い家具を片付け地震対策をした。



title:歩き疲れて帰ってホッとした所で、次は家の片付けだった


夜も余震が続き朝起きると腰が痛かった。なかなか眠れない。



二日目になるとスーパーやコンビニには食料品が無くなりガソリンスタンドも途中で終わってしまう。
明日には三鷹市は計画停電が行われる予定だと言う。

今僕の住む東京は「非日常生活」です。
自ら環境を変えてどこか海外へ旅行に行ったりで「非日常」はあったけどこんなことは生まれてもちろん初めてだ。


だけど、あの恐ろしい映像の場所にいる東北の方達とは比べ物にはならない。
中越地震を経験した彼女の実家は食料が無く水を飲んで過ごしたといいます。

現段階で「復興」の言葉は早いかもしれないけど、早く日本が力強くみんなが力を合わせて頑張って元気になってほしい。
地震の影響で営業を停止する店がある中物を売るお店、物を運ぶ人達、救助する方、治療をする医師、報道する人達に感謝したい。

日本が立派に機能してきたのは汗びっしょりに働いてきた人達がいるから。

日本を元気にするには誰かの為に働く事だと、仕事を終えテレビを見ながら地震で被害を受けた人達の為に動いていている人達を見てそう思った。

みんな明日からも仕事頑張ろう!!!
ピザ屋でもハンバーガー屋でも、古本屋でもレコード屋でもミュージシャンでも、画家でも。
本当に日本を考える事は今日の仕事をする事やと思う。

そして、働いたお金で東北の力になりたい。






ーーーーーーーーーーーーーー追記ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



2012年3月11日

P.S このブログを読み返して良かったと思う。2011.3.11の事を決して忘れないとは言ってはいるけど、当時の一日の行動を生々しく書いてあるとその時の恐怖と精神的な疲れが肌感覚で今蘇って来た。
そして、昨年このブログを書いている時は想像もしなかった福島の『原発問題』が東北の震災、津波の被害を抑えて今一番人々の関心を寄せている。原発が復興を完全に邪魔してるのが現状。

昨年の原発、震災以降で自分が普段生活する中での考えがガラッと変わりました。それは、震災以前は考える事はなかった死の事、日本の国民性、視点、そして自分自身の知識の無さです。

僕らはそれらを震災を忘れない事、放射能が今も日本で漏れ続けている事と同じくらいずっと意識して生活していかなければいけない。

自分の生まれ、育ち、今現在生活するこの国で『無関心』を気取るのはいかがなものか?
遠い中東の国で戦争が起きている様に、あの時震災が無かったら僕は無関心だったかもしれない。

ただ、この震災で日本人は忘れないと同時に『無関心』ではいられない現状に気付かなくてはいけない。
僕はとても『無関心』ではいられない。





昨年のブログの最後に僕はこう書いた。

【日本が立派に機能してきたのは汗びっしょりに働いてきた人達がいるから。

日本を元気にするには誰かの為に働く事だと、仕事を終えテレビを見ながら地震で被害を受けた人達の為に動いていている人達を見てそう思った。

みんな明日からも仕事頑張ろう!!!
ピザ屋でもハンバーガー屋でも、古本屋でもレコード屋でもミュージシャンでも、画家でも。
本当に日本を考える事は今日の仕事をする事やと思う。

そして、働いたお金で東北の力になりたい。】




僕は今年の春に東北に遊びに行きたいと思う。
仲の良い友人達と一緒に。

そして、一生懸命働いたお金を使ってこれから起きるたくさんの楽しい事に夢見たいと思う。

楽しみだ。




僕のデートの日記


10月25日

こんなに暖かい日は今年は最後かもしれない。
今日は彼女も休みだから阿佐ヶ谷、高円寺、中野をデートをした。

何故かというと彼女が阿佐ヶ谷の病院に用事があったから始めは阿佐ヶ谷に行った。

僕は彼女を待っている間にスケッチをしようと思っていたのに、繁華街を散策していたらパチンコ屋に出くわして覚えたてのパチンコをついつい打ってしまった。

でも、バコバコ当たるのでとても嬉しかった。

丁度打つのをやめようと思った時に彼女が迎えに来て玉を交換した。
ビールやお菓子やカレーを手に持ちきれない程いろいろ一緒に選んだ。
パチンコ屋の玉をお金じゃなくて、お菓子やカレーと交換して紙袋いっぱいに持ち帰るのは昭和っぽくて気分が良かった。




title:阿佐ヶ谷の街

僕は今日彼女を連れて行きたかった場所があった。

僕が「絵を描きたい場所があるからついて来て」と言うと「パチンコなんかしとらんでスケッチしとったらよかったねか」と怒られてしまったけど、しぶしぶ彼女はついて来てくれた。

それから、僕たちは阿佐ヶ谷駅から少し離れた13階立ての古いマンションの屋上に登った。

そこの古いマンションは杉並区の半分を見渡せるとても気持ちのいい風景が広がっている。

流れる様に走る中央線が武蔵野に広がる住宅地を切り開くその姿に僕たちは胸いっぱいになった。とても大好きな場所なのだ。

ここは、僕がピザ屋で働いている時に見つけた場所で、この古いマンションに友達や知り合いが住んでる訳でもなんでもない。

仕事中に飛び込んで来たモーレツッ!にグッときた風景を、僕は休みの日にそこに行って絵を描いている。

彼女も感動して僕と一緒に絵を描いた。


title:中央線がとても格好良く流れて行く



18時を過ぎてだんだんと風が強くなりまるで駄目なので、管理人に怪しまれながらも僕らは古いマンションを後にする。
行きたかった阿佐ヶ谷の古書コンコ堂は休みだった。




title:中野立ち飲み やきや

それから、阿佐ヶ谷、高円寺で飲もうと思ったけど目当ての店がやってなかったので中野に行った。
先日画家の牧野伊三夫さんに連れてってもらったやきやに行った。

ここは手羽先がんまい。狭い店内はおしくらまんじゅうでも始まるんじゃないかっちゅうくらい、人でいっぱいだった。

だから、おかみさんはホッピーの中の注文が誰に頼まれたかさっぱり忘れてしまったらしく、お客一人一人に聞いて回る光景を僕は3,4回もあって、なんだか見ていて気分がほっこりした。





title:サントリーパブ ブリック

そして、これまた牧野さんに連れてってもらったブリックに行った。
彼女はワインを飲みたいって行ってたからワインがあって良かった。


title;ブリック風景

ブリックは老舗中の老舗のバーで、店の扉もジェントルメン!な店員が開いてくれる。
ハイボールは200円だし、ウイスキーやビールやつまみなんかもとんでもなく安い。

それなのにピンピンのノリがしっかり付いた真っ白なシャツに背筋の伸びた丁寧な言葉を話す店員に僕は勘違いしてしまうくらい良い気分になる。




title:ブリック店内

「お上手ですね。」店の扉を開けてくれたジェントルメンが帰り際、ドアを開けながら上品な言葉でそっと言ってくれた。

とてもかっこいい店だ。


ここらは僕らが居心地よく生活出来る環境が揃っている。


僕たちは高円寺に引っ越してまだ二ヶ月。

楽しい事がまだまだ毎日続きそうだ。



震災の地宮城を訪れて。2 〜石巻の空編〜





title:石巻の高台にある公演から見える漁港。





ボランティアは朝の8時半から始まり16時頃には終わる。

僕たちは車で石巻市にある日和山公園という高台の公園に行った。
公園から石巻の沿岸部の景色が一望出来る。




僕たちはその高台にある景色を見たが言葉が出なかった。
友達と来ているのになんて声をかけていいか分からないくらい、言葉が一つも出てこなかった。

そこに港町があったはずなのに、戦争後のの焼け野原の様だった。

高台には地元の人も見に来ていて、目に涙が浮かぶ夫婦は会話もせず遠くの海を見ていた。


高台にひとり一生懸命こぼれ落ちる涙を堪えながら泣く僕より少し若い男性は、この津波で家族全員を亡くし、親戚は自殺したのだという。



title:高台に並べられた花



街があったであろう場所を歩いた。








横たわる自動販売機が小さく見えた










海の生き物の死んだ匂いがした













いつも見上げているものが転がっていた









人々がこの街で生活していた









初めて来た場所やけど海と山とカモメだけはずっと一緒で安心した







瓦礫だらけの街とは対象に今日の空は気持ちが良すぎるくらい綺麗だった。






みんな必ず宮城に行って欲しい。



今放射能の影響でどうしてもそちらに目がいきがちになってしまうけれど、宮城で起こった現場に行ってこの目で現実を確かめて欲しい。





これは異国の地で起こっている事じゃない。
瓦礫の街と死んだ魚の匂いと、昼間にヘドロを掻きだした全身に走る筋肉痛の身体と、地元の人の被災の話を聞いて、僕は本当の意味で初めてこの地震に対する現実にハッとさせられた。



そして、今回宮城に行って宮城の人達の話に耳を傾けるのも復興の一つだと思った。

そして、なによりまずそこにあったはずの街が無いこの現実を知る事が、復興を願う事への第一歩でそれがとても大事だと思った。





東日本の復興を身体と心からずっと忘れない。









僕はまた必ず宮城に行こうと思う!




震災の地宮城を訪れて。1 〜東松島ボランティア編〜



title:東松島のボランティアセンター本部。キャンプ地は夜は真っ暗だから夜21時に就寝。朝5時半くらいに目が覚めるから早朝に絵が描ける。健康的。


3月11日に起きた東日本大地震の最も被害に逢った宮城県東松島市、石巻市に僕は行ってきた。
今回僕は震災復興の為のボランティアとして被災された方の家などに流れ込んだヘドロを掻きだす作業を主にしてきた。




僕は震災後からずっと震災の地に行きたかった。

それは僕たちが体験した3月11日の物凄い揺れが、おそらくしばらくすると『テレビの中の世界』に終わってしまうような感覚になってしまうんじゃないかと思ったからだ。
この目で確かめたい。
そう思った。





title:流れ着いた家の屋根が道路に転がっている


友人達と共に車で東松島へ向かった。
震災から三ヶ月経った被災地周辺では街が少しずつ機能し始めており必要なものは、なんでも
スーパーやホームセンターで揃った。

テレビの映像だと一部の被害の大きな所しか流さないので僕たちはコンビニ一つ営業してないものだと思い、必要と思われる水や衣料品まで東京で準備をして宮城に入ったので少し拍子抜けした。

ただ、街を走るともう充分に機能している道路や店などにも船や家の屋根なんかが落っこちていた。

パチンコ屋や、本屋、ゲーム屋なんかも営業していたけど、現地の人はそういった娯楽施設が無いと心が休まらないんじゃねえかと思う。





title:床下に溜まったヘドロを掻きだす作業


ボランティアセンターはテントで出来ておりその周辺には全国から集まったボランティアスタッフ達のテントがポツポツ張られていた。



僕たちはボランティアセンターの振り分けで一日目高橋さんという方の家に行った。






tite:高橋さんの家に行く途中にある田んぼ。未だにこの田んぼには何百人の行方不明者が埋まっているという





僕たちはそこで床下のヘドロを掻き出す作業をした。
ヘドロを掻き出す作業は臭くて重く大変な作業だった。



高橋さんはとても気さくな人でしゃべり方は「となりのトトロ」に出てくるおばあちゃんの様な東北訛りのおばちゃん。

今は娘さん一人と避難所で生活しており、息子さん二人が高橋家の二階で家を守っているという。


女で一つ三人の子供を育ててきた高橋さんは被災があったにもかかわらず、めちゃめちゃ前向きに笑顔でいろいろな話をしてくれた肝っ玉かあちゃんやった。

実は高橋さん昼間のテレビ【ミヤネ屋】で被災地の中継でのインタビューで出演して、避難所に食料が無く弁当一つを40人で分け合って食べた事などテレビで訴えたら、次の日全国から大量の食料がものすっごいたくさん送られてきたらしい!!!すげえかあちゃん!!!!!




title:震災当日のことなど話してくれた高橋さん


震災の影響で娘さんが不安やストレスで精神に支障が出たことや、震災の際近くの学校に行くのに首のあたりまである津波の高さの中、小学校の集団登校をする様に一時間かけて学校へ行った話、その際に多くの車、人が流されていたのを見た事、食料が無く食パン一枚を8人で分け合っていたこと、家にいない間長靴などいろんなものが盗られていたこと。

高橋さんはめちゃめちゃ生々しく僕たちに話してくれた。高橋さんの復興への前向きな話し方は僕ら聞き手をも安心して聞くことができて高橋さんの懐のでかさが感じられた。



中でも高橋さんの話で驚いたのは、津波が起こった午後15時、真昼間の東松島の空は夜のごとく真っ暗になったと言う。真っ暗な空には星空がたくさん見えたらしい。
津波や地震による自然エネルギーなのかは分からないけど、

高橋さんは「津波で流された人たちの魂が空に上っていったんでねえかなぁ〜」って言ってた。




title:作業の現場。左から画家貝塚歩、土建屋superkikiの父、アーティストsuperkiki




阪神大震災の死者数は約6000人。
石巻市での死者、行方不明者は5000人。他に岩手沿岸部、東松島など含めれば今回の地震、津波の被害の大きさがうかがい知れる。


高橋さんや東松島、石巻に住む人たちが普段どおり生活できるまでにはまだまだ相当な時間がかかる。

高橋さんはまたこの家に住みたいと言う。
僕たちの床下の泥かき作業はとても大変な仕事だったけど、この家が復旧する為のほんの一部の事だ。
瓦礫や、家具の撤去に、家先に溜まった溝の泥だし、家の腐った木を取って大工さんにリフォーム。汚染された家の消毒と流されて廃車になった為に買わないといけない車。
家や家族が亡くなられた方は何から手をつけていいか分からないだろう。


まだまだ、人手は足りない。

もし、休みが2,3日でもあったらボランティアに行ってほしい。

自分が被災地に来るという事、ボランティアをするという事。
自分がどんな気分で行くか難しい事は考えなくていいんかもしれない。

ヘドロを掻きだし、被災者達の話に耳を傾けること。それでいいんやと思う。








宮城県災害ボランティアセンター
http://msv3151.c-bosai.jp/

ボランティアの人がどこに行って何を持って、今日どこで活動しればいいんか全てここでしっかり教えてくれる。

そして、今東北にボランティアに行く人の為に申請をすれば往復の高速道路
が無料。
電車、バスに至ってはボランティアに限らず旅行者も新幹線一日乗り放題が一万円、バスは東京から仙台まで片道三千円だから行こうと思えばいつでも行ける。

誰でも気軽にボランティアスタッフとして行けるから是非行ってみて!
僕はめちゃめちゃ行けてよかった。

つづく

夢のいくらとかぼちゃとおちんちんのパジャマ!!の日記!!!




 
title:宮間栄次郎          title:イクラのパジャマ/下田賢宗


おいっす!
久しぶりに日記を書くぜい!いぇい!!

最近モーレツッ!から離れてたけど地震が起きてから極端に減った気がする。


どうも下半身からメラメラと燃え上がり、頭の毛の穴からプッシューと吐き出す様なマグマの様なやる気が湧いてこなかったのも今日で終わりだ!!!



先日はそんなメラメラな展示に行ってきた。

アールブリュット・ジャポネ展に行って来た。

この展示は日本のトップクラスの作品を作り出す障害者のアーティストの展示で、2010年にパリのアル・サン・ピエール美術館で開催された好評の展覧会が日本で復活!!!!の展示なのである。

だから、めちゃ有名なあの人のあの作品に出逢える展示なのだ。

見た事も無い線やいくら混ぜても作れそうに無い色。どんなに想像したって頭に浮かばないキャラクターや模様を創り出す作品達で僕は心臓の休む暇が無かった。


僕はこの展示を見るのにとてもエネルギーを使った。
どの作品も対峙した時、エネルギー100%でこちらに向かってくるので僕はマジマジと身体全身で受け止めなければいけない。

僕は展示半ばからとんでもなく疲れてしまい、中学生の時に体育の授業でやったシャトルランを思い出し気持ち悪くなった。ほんとしんどかった。



そんな展示の最後に方にあったのが下田賢宗さんの【いくらのパジャマ】という作品だ。
両隣には【かぼちゃの天ぷらのパジャマ】と【はだいろおちんちんのパジャマ】という作品と一緒に並んでいる。

作品はあきらかに手作りだと思われるパジャマの上に、絵の具で【いくら】【かぼちゃの天ぷら】【はだいろおちんちん】がアロハシャツのごとく総柄で描かれていた。

その後ろの壁には確か【いくら丼のパンツ】やらなにやらところどころ黄ばんだ男性用白のブリーフが壁に展示してあるじゃないか。

こんなおかしな作品と出会い僕はものすごく気になったから、作品隣にある作品解説を読んで感動のドキドキムネムネが止まらなかった。





下田賢宗プロフィール





どうやら彼は、自分の好きなものに包まれて眠りたいという夢があるらしかった。
ブリーフやパジャマに【いくら】や【かぼちゃの天ぷら】が描かれているのは彼が好きなものに包まれながら眠る為だったのだ。

彼にとって作品とかそんなんじゃなく、彼の好きなものを描いたパジャマと下着なのだ!


今回美術館で展示されてるから【作品】として展示されてるけど、自分の好きな物に包まれて眠りたい!!っていう夢の為に何かものを作りだすっていう力というか、力学的パワー?ってのは難しいものん抜きにめちゃめちゃすごいと思うんですね!


僕は下田くんの夢のパジャマを見て笑ってしまい、疲れがぶっとんだ!!


僕は今肌色のももひきを穿いて寝床につくんだけど、小学生のときはセサミストリートの水色のパジャマだった。そんなん忘れてたけど下田君のパジャマを見た時、セサミストリートのパジャマが大好きで身体が成長してもつんつるてんになるまで着てたのを思い出した。

そして、小学校の時に誕生日に買ってもらった新品の格好良過ぎる赤のジャージを、嬉しくてそれを着て眠った事も思い出した。

好きなものをベットに持って行く事って昔はよくしていたんだなあって思った。
いい夢見る為かなあ。
下田さんはそんな大事な事をよく知っている。



とっても大切な事だなあと思う。





貝塚歩の絵を見よう!!!



title:新宿眼科画廊



そういえば、貝塚の作品を見るのも久しぶりだし絵画の作品展示自体見るのは久しぶりかもしれない。


貝塚歩は「あゆげ」とみんなから呼ばれている。

あゆげは高円寺に住んでいて僕が知りうる人達の中で一番ボロい家に住んでいる女の子だ。
彼女の部屋の壁には直接鉛筆で彼女が創った詩が書かれていて、彼女の住む六畳の畳には絵の具がまき散らしており、パレットには無造作にもアクリル絵の具と油絵の具関係なく盛りに盛られて岩の様になっている。

声は大きく、思った事をすぐ言葉にし、ぶっきらぼうなのに細かい事はよく気にする。
仕事の話になると失敗談の数々で、好きな画家の話になると気が合う。
彼女と僕はいろんなところが良く似ている。

だから、僕は彼女と一緒に二人で展示をよくしている。


彼女の絵は全て自分に直接降り掛かってきた事を描いていて、全てが彼女の日記。
その時その瞬間彼女が降り掛かってきた出来事に自分はどう感じたのかどう思ったのか、そんな彼女自身の感情の現場に立ち会う事が彼女の絵を見る事だ。


だから、僕は彼女の絵を見ると手に汗をかいてじっと絵を見る事が出来ない。



「絵を描く」っていう事が感情と向き合う事になった時、絵を描くスピード、点数は格段に落ちてしまう。絵を描く事がめちゃめちゃ作者の人生にとって比重の重いものになっている絵が貝塚歩の絵で、そんな作家は今日生きる画家や絵描きを見渡しても中々いない。
そんな生き方はなかなかできるもんじゃない。


感情は形の無いもの。
だから、彼女は自分の感情に近い手がかりのイメージを追っかける事はしない。
筆を叩き付ける様にキャンバスに描かれたイメージは一瞬何が描かれているか分からないが、その形があゆげの見る人間の心の形なんじゃないかなってのは、彼女の絵を見たときの自分のゾワゾワする感覚で感じる事ができる。


先日彼女が参加した新宿眼科画廊で行われたグループ展を見に行った。
その時の絵は初めて彼女の絵を欲しくなるくらいめちゃめちゃよかった。



今年も彼女と展示する予定だからよろしくね〜


だから、彼女の絵を見て欲しい。
なんだか、4月も展示やるってよ!!みんな見に行こう!!!


貝塚歩のミラクルポップライフ
http://d.hatena.ne.jp/poplifepoppoe/

展示情報はこちらでチェックしてね〜




明日はきっと楽しい日


title:高円寺の八百屋こむらやの前の商店街(一部)


僕は元気です。

東京は今ガソリンを入れるのに30分程並び、スーパーに行っても米が買えません。

毎日ツイッターの情報とテレビの情報のにらめっこで疲れてますが、久しぶりに日暮里の齋藤湯で背中を流してもらい立石で飲んで元気になりました。

高円寺の八百屋の前でスケッチも再開しました。

人はおそらくいつもより少ないですが八百屋で働くおかみさんやおっちゃんのチャキチャキのいつも通りの接客を聞いてると元気が出てきます。

まだ、作品は途中ですが「大和青果」に続きここでも完成したら4月に一枚展示させて頂くことになった。


地べたで座ってる僕におかみさんは発泡スチロールの敷物を貸してくれました。


「おにいちゃん、明日も来るんやろ?明日も貸してやっからね。明日はもっと寒いぞー」



明日はきっと寒くて楽しい日だ。


お風呂でロック!!!!!??



title:『弁天湯』at吉祥寺

 
僕は吉祥寺の近くに住んでるから吉祥寺の銭湯にもよく行く。

弁天湯という古い銭湯がある。
ここは知ってる人も多いと思うけど、銭湯の休みの日にはロックミュージシャン達のライブハウスと化して話題になっている銭湯だ。

出演者も見て頂ければ分かる通りめちゃ豪華!!!

どうやら、弁天湯を営むお孫さんがこの企画をはじめたらしい。
弁天湯の近くにあった馴染みのおそば屋さんが時代の波に飲み込まれる様に潰れていって、それが自分のおじいさんが営む弁天湯とダブった事がきっかけらしい。

銭湯を盛り上げよう!と。
素晴らしいね!!!

とまあ、そんな魅力溢れる銭湯なんだけど僕はここの富士山が大好きなのだ!!!!

僕はこの富士山を見ながらいっつも風呂につかるんだけど、先日行ったらあの立派な富士山
が風呂漫画テルマエロマエの作家が壁画を描いていた。

僕はその富士山が見てて落ち着かなかったから、嫌だから富士山とは逆の脱衣所を見て風呂につかった。


title:弁天湯の洗い場と脱衣所側のタイル(アップ画像

すると、脱衣所側のびっしりと埋まったタイルに脳天直撃やられてしまった!!!

『超かっちょいい。。』

こうなると、絵を描きたくなる。これが自然の真理だ。

洗い場の中裸で描いたのはもちろん初めて。
途中寒くなって風呂につかりながら描くも天井から水滴が落ちてきてピタピタ紙に雫が着く。

でも、これが現場で描いた味だと思えばなんて事はない!!!

さすが、ロックな銭湯!!!
誰も注意してこないし、文句も言わず黙って見ていてくれた!



ただ、一緒に来た彼女の事をすっかり忘れてしい、30分も待たせてしまった彼女は黙っていなかった。。。

いつか僕の描く絵が銭湯や酒場が盛り上がる様なものに繋がれば最高やと思う!!!


あと、最近のスケッチ少しアップしたから見てね〜
http://www.flickr.com/photos/57324104@N03/





十条の齋藤酒場と太っ腹?なおっちゃん!!!





title:新世界じゃんじゃん横町の将棋クラブ(地面に置いて描いてたら絵の右下の部分自転車から降りかけたおっちゃんに踏まれてしまった作品)


 
大阪から帰って来て東京二日目。

いきなり仕事が二連休。普段ならパッと『今日はあすこ行こ!』ってな感じでどこかでかけるのだが、全く思いつかない。

大阪に帰る時思った不安が的中した。
『大阪が凄過ぎて東京で絵描けるんかな。。』

そう、大阪の景色が凄過ぎて東京のちょっとした景色にドキドキあんませんようになるうんじゃないやろか?と思って家でゴロゴロダラダラしていた。

とりあえず、よく分からんけど『ビートたけしが生まれ育った西新井、梅島。ついでに区内殺人事件最多の街竹の塚でも行こうか』というあまり自分でもよく分からない動機で出かける。

竹の塚から西新井。
けっこーー遠い。。一時間くらい。。。

荒川土手とイトヨーカドー以外なんもなし!!!!!


今日は諦めて帰ろうかと思った時バス停があった。
バスが『王子行き。。という事は十条!!』

???と思われると思いますが直感で僕は十条へ向かう。

十条は東京の東側を思わせるようなそれこそ『三丁目の夕日』的な街並で狭い路地に古い古い商店や食堂、酒場がまだまだたくさん残っている。

とくに、演芸場がある通りの商店街はディープな下町プンプンである。


title:以前番狂わせの公家さんから教えてもらった!



そして、十条の齋藤酒場へ。
齋藤酒場は知る人ぞ知る十条の名店。というか東京の名酒場!!!昭和三年創業で外観も内観もかなりドキドキの店!
僕はここのポテトサラダが大好きでビールと一緒に飲むとすぐ腹がふくれる。
おまけに、この店はめっちゃめちゃ安い。

前も来たけど店内はいつも満員御礼状態!!!
それも、ここのママさん達はめっちゃ優しくて僕が絵を描いてるのをすげえニコニコ笑ってくれてる。

僕はひとりで酒を飲みに来た時は必ず周りの人に必ず乾杯をお願いする。
まあ、初めはびっくりされるんだけどその御陰ですっかり仲良く慣れる!



title:スケッチを欲しがってたおっちゃん!!



今回仲良くなったのは迎えの席にいたおっちゃん。
おっちゃんはもう50年近く『齋藤酒場』に通ってるのだと言う。

僕がスケッチをしていると
『俺を入れろ!俺を入れろ!』『お前は有名になれる!絵をくれ!!』『お前は天才だ!そして、俺を入れろ!』ってめちゃめちゃ横やりの嵐!!


『よし!今日は俺が奢る!!!煮込みでも酒でもなんでも好きなもん好きなだけじゃんじゃん頼め!』と。

僕はできたてホヤホヤのその絵をあげたくなかったから、必死で引き止めるおっちゃんを背に断ってそのまま会計へ!


安い!しかし、あぶねぇ!1250円で絵売るとこやった。。


おっちゃんは展示をする時連絡しろ!と名刺を渡してくれた。

帰り際『お前はこんなやっすい店で絵描かんと高級クラブに行って絵描かんと買ってもらえんぞ!!俺はそんなとこ行かんけどな!ガッハッハ』と言われた。


少し格好良く描き過ぎたおっさん。
今思うとおっさんのこのしつこいグイグイトークの御陰でネバーランド!大阪!!の魔力が解けて、東京スケッチ復活!できた。

今度会って高級クラブで奢ってもらったら、絵をあげてもいいと思った!!!




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