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- 2021.03.13 Saturday
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約二年ぶりに個展をします。この二年で僕は結婚し、子どもが生まれ、左官職人としてしっかり下積みを重ねてました。
今回の個展は何年かぶりにスケッチではありません。八月頃から描き始めたドローイング約100点を展示予定です。
スケッチをしていた時に描けなかった歯痒い感覚、自分の中で飛び越えれなかった可能性をとっても秘めていると感じています。
なにがなんだかよくわからない様なものを縄跳びの四十飛びを百回連続でやらないと解明できない様な自分の内側を確かめたい。
『天体』は絵描き斎藤祐平氏が一人の作家に焦点を当て個展を開催するという企画で今回七回目。天体観測のようにじっくりゆっくりと絵を見て過ごす日になれば理想です。
「天体vol.7 作村裕介編」
会期:2015/10/4(日)14〜20時
会場:space dike (http://spacedike.blogspot.jp/ )
住所 | 111-0021 東京都台東区日本堤2-18-4 [地図]
東京メトロ日比谷線 三ノ輪駅3番出口 徒歩5分
http://spacedike.blogspot.jp/
https://twitter.com/spacedike/
入場料:300円
■プロフィール
作村裕介 (画家・左官職人)
普段の生活でモーレツッ!!にグッときたものを描く。個展はアートスナック番狂せ、高円寺小杉湯、他東京ギャラリーで多数。
「作村裕介のうっ〜ん、モーレツッ!!」http://mo-retsu.jugem.jp
企画:齋藤祐平
天体アーカイブページ:http://lopnor.archive661.com/action/tentai
会期:2013年3月4日(月)〜3月29日(金)
時間:18時過ぎから25時土日祝定休
場所:アートスナック番狂せ
オープニングパーティー&トークショー
日時:3月8日(金)19時から
オープニングパーティー:ワンドリンク+食べ放題 2000円(追加ドリンク500円)
トークショー:作村裕介(画家)×齋藤祐平(絵描き)×平間貴大(新・方法)
ゲストに絵描きの齋藤祐平さん、新・方法のメンバーでもある平間貴大さんをお招きし、木版画の作品や絵を描く事や生活する事についていろいろ話したいと思います。こちらも是非。
http://mo-retsu.jugem.jp/?eid=87
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(第一部)
作村:トークショー始めたいと思います。今日はみなさま来て頂いてありがとうございます。
齋藤:おめでとうございます。
平間:おめでとう!
作村:今回は木版画の展示ということで、僕自身木版画で個展をするのは初めてなんですけど。こうやってバッて見せられるのと、「番狂せ」(※1)っていうなんていうか、生活感のあるお酒の飲むところっていうそこがいいところで。そういう所で展示がするつーのも僕の絵と僕自身とが合っているかなって。
※1 番狂せ
新宿荒木町にある飲み屋・ギャラリー
http://bankuruwase.net/past/g-p-sakumura-2.html
齋藤:合ってる合ってる。
平間:何か合ってる気がします。
作村:そういう感じで展示をスタートしました。ということで、今日はゲストに齋藤祐平さんと平間貴大さんを迎えてギャラリートークみたいな感じで話を進めたいと思います。
齋藤:まず今回なんで木版画の個展をやろうと思ったのかっていうその経緯を知りたい。
平間:誰もが気になっているという。
齋藤:今までは筆ペンのスケッチを描いていたよね。
作村:ここにある僕が以前描いていた筆ペンスケッチをまとめたファイルで言うと、元々こういうスケッチ(※2)を僕は現場現場に行って描いて、それを作品化してたんですけど。長時間現場にいることによって人と話したり、その風景の雰囲気とか楽しむことが多くなって三時間でも四時間でもそこで描いていたりしたんです。それによってなんていうか完成する喜びはあるんですけど、その場の印象を捉えることの大切さみたいなことは薄れてきたっていうのがあって。木版画はもちろん現場ではやらなくて、スケッチを元にやるんですけど(笑)。
平間:迷惑だからね。
齋藤:カスが出るから(笑)。
平間:刃物で彫ってるし、刃物をみだりに所持・携帯することは法律で規制されているからね(笑)。
齋藤:危ないね(笑)。
こういうスケッチ(※2)
《吉祥寺の魚屋不二屋》2011 筆ペン、紙
《歌舞伎町のごろつきども》2011 筆ペン、紙
作村:木版画のスケッチはここまで細かくなくて、もう印象派のような。
会場:おお(笑)。
作村:大それたこと言ってしまうと、その印象のようなもの、その一瞬を捉えたものとかを僕は大切にしたいなと思っていて。その場で長時間見ている風景をスケッチした場合、看板とか色んな人とか情報がいっぱい入りすぎていて、具体的に描き過ぎていることを僕自身感じていて。そこからどっかステップを入れたいと思いまして、自分が伝えたいイメージと次に行きたい方向性みたいなものが合致するのは木版画だと思って、それで木版画を始めています。
齋藤:スケッチブックは必ず画面いっぱいに、めちゃくちゃ描くじゃん。これは要素を減らそうとか思わなかったの。これすごい密度だよだって。野菜一個一個描いてる。(※3)
平間:ヤバいやつだなって思うよね。八百屋の前でこれを描いていたら。
会場:(笑)。
作村:何かしら画面の中でパワーを求めたいっていうところがあって。多分このときは細密にパワーを感じていて。
齋藤:こう、画面にどんどん入っていくような方向に向かっていった。
作村:そうそう。荒々しい感じのパワーとかも要素的には前はあったんだけど、このときはすごい細密にグゥーッてなるパワーを求めていた、みたいなときでしたね。
野菜一個一個描いてる(※3)
《高円寺大和青果》2011 筆ペン、紙
齋藤:木版画ではどういうパワーに還元されていったの?
作村:なんていうか、単純に言ってしまえば三角刀っていうものに目覚めまして(笑)。
齋藤:丸刀と三角刀しか使ってないって言ってたよね。
作村:ほとんど三角刀で。三角刀8割、丸刀2割くらいの感覚で。
平間:他の平刀とかは?
作村:平刀はたまーに使ってますね。使い方がわからないくらい。
齋藤:このあたり平刀使ってるじゃん。
作村:そう。そのぼかしあたりは試してみたぐらいの(笑)。端っこで試してみた感じになってますけど。
齋藤:この《新宿の女》(※4)は去年のもの。
作村:思いっきり彫れるというか、そこらへんに力の、切り込んだ感じが出る。
《新宿の女》(※4)
《新宿の女》2011年 木版画、紙
齋藤:線のモーレツさが。この中で一番最初に手をつけたやつっていうのはどれ?木版画をやるきっかけになったようなものは。
作村:年賀状ですけど。
平間:年賀状は今回展示してないの?
作村:年賀状はなくて。年賀状で木版画ってありがちだけど、刷ってみようかなって思ってやり始めたんだけど。あ、もっときっかけを言えば、以前描いていた筆ペンの作品が木版画とよく間違えられて。
齋藤:ああー。でも筆ペンでのスケッチのこの密度を木版画でやったら相当すごいけどね(笑)。
作村:よく木版画に間違えられるからちょっとやってみようかなぐらいの感じで、年賀状で試してみたっていうのがあって。
平間:間違えられてもショックだったりしないの?「俺は木版画なんかやってねー」みたいな。
作村:全然ショックじゃない(笑)。そういうのは特にこだわりがない。この作品ですね。
齋藤:《新宿の女》か。
作村:この木版画で以前のスケッチでは表現しきれなかった部分というのは、なんていうか、このテレクラの看板のムアァーってした感じ。
平間:なに、それ(笑)。赤だったら赤が他のところまでムアーってなっている感じ?
作村:そのギラギラした部分。
齋藤:この看板のまわりのこと?発しているみたいな。
作村:そうそう。まわりのこういうのを描くのがすごい好きで。昨日彼女にそういうのは漫画みたいで良くないって言われたんですけど。僕はすごいそういうのが好き。
齋藤:効果線みたいな。
作村:岡本太郎の絵ってそういうのが多くて。意識しているわけじゃないですけど。そういうところが好きなんですよね。バカっぽいっていうか、漫画っぽいっていうか。
齋藤:(笑)。でもこれは元になった絵があるよね。
作村:スケッチが元々あって、それを描いた。
齋藤:やっぱこれが出来たときには、ペンでのスケッチよりもやっぱり木版画ならではの手応え出たなっていう感じあった?
作村:あ、そうそう。本当にね。この絵よりかは隣の作品。《釜ヶ崎のクマさん》(※5)っていう作品なんですけど。これは僕が大阪に旅行したときに、釜ヶ崎のドヤに住む労働者の人に絵を描いてギャラをもらったっつーもので。250円だったんですけど。そのときの絵はクマさんに渡したんですけど、どうしてもこのクマさんの絵が気に入ってしまって、あとから自分で写真を見ながら描きなおしたんですよ。スケッチを渡す前に写真を撮って、そのスケッチの写真を元に、絵を元に絵を描いて、部屋に飾っていたんですよ。もったいぶって。それは自分の中で完成していなくて。なんていうか、クマさんの重たい感じの空気みたいなものが捉えきれてなくて。これは絶対木版画にしないといけないとずっと思っていた。これは満を持して木版画にしたんです。僕はこの作品がすごい自分の中で、あんまり言いたくないですけど、ダイッ好きなんです。
《釜ヶ崎のクマさん》(※5)
作村裕介 《釜ヶ崎のクマさん》2013 木版画、紙
平間:うん、いいじゃん。
齋藤:いいと思う。これいいよ。
作村:すげー好きで。なんつーか手放したくないくらいすごい気に入っていて。そういう感じですね。
平間:でもこれは絵と違って、もっと刷れるんだよね。
作村:そうだね(笑)。いや、気持ちとしてね。
平間:うん。ムアァーっていうのもクマさんの周りに出てるからね。
齋藤:だいたいの版画には元になったスケッチがあるわけでしょう。
作村:そうだね。
作村:周りからも齋藤さんとかもそう言ってくれるんだけど、実際のところ自分の見てきたものとか描きたいものとかが変わっていないというか。身体的に受け止めれるものとか普段の生活で変わってきたんだろうけど、絵の表現したいものとかは変わってないというか。スケッチを初めたときから自分の中では。だから絵の中の生活を今送っているみたいなところはありますけど。絵でそれがどうかって言われたら大して変わってるところはないかな。
平間:でも仕事が変わって作品を作れる時間配分みたいなところは?少なくなったとか。
作村:あー、明らかに少なくなったっていうのはある。
齋藤:だって朝の3時に起きて夜の9時に帰ってくるとかさ、すごいよそれ。
作村:あ、ひどいときはそうで。たまに群馬県の八ッ場ダムとか三時間半かけて帰ってきたりとかあります。でも大変だけど。
平間:絵に対する態度は変わらない?
作村:うん。絵は描きたいなっていうのはある。なんか会社の人にも「お前絵をそろそろやめろよ」って。
会場:えー(笑)。
平間:えーって言えばいいのに(笑)。
齋藤:会社の人には僕は絵を描いてますっていうのは言ってるの。
作村:僕はどこでもそういうのはオープンにしていて。人それぞれだと思うんですけど、絵を描いている人とか自分の生活とか普段の生活を見せない人とかいますけど、俺は見せた方がいいと思います。自分の普段やっていることとか昔は言っていなくて、アルバイトをしているときとか。俺は絵を描いとってとかそういうのは言ってなかったら、だんだん自分で壁を作っているようなところが出てきて。だから俺は絵を描いとって普段こういうのをしてるんだみたいなのを言って仕事をしたい。…そうだ、思い出した。プロフィールだ。
平間:プロフィールと聞いて思ったけど、今作村は絵を描いているとか、描いていることを人に言うとか言わないという話をしてたけど、それは「俺は版画を彫っている」とは言い直さないんだね。絵を描いていることの延長で版画をやっているんでしょ。だから「絵」なんだよね。
作村:俺の中でこれは「絵」だから。絵だもん。
齋藤:版画家にスイッチしたというのは無いの?
作村:全然無い。
平間:版画家に変わったんじゃなくて絵を描いている。絵の素材のひとつみたいな。
作村:だってあれだよ。棟方志功は「版画」じゃなくて「板画(いたえ)」って言っとんが。「版画って言うな。板画だ!」って。
会場:板画(ばんが)じゃない?
作村:あ、ばんが?(笑)。
会場:(笑)。
平間:読み方の問題だから、落ち込まなくても大丈夫大丈夫(笑)。
作村:板画(ばんが)ですね。だからなんだっていう話ですけど。だから俺は棟方志功と同じ気持ちなんですよ。そういう絵に対する気持ちは。
平間:漢字こそ読めないけど(笑)想いは一緒。
作村:単に木版画がいっぱい刷れるからラッキーとかいっぱい持ってもらえるとか、そういう気持ちは全く無くて。絵としてのもの。
齋藤:会場をぐるっと見てみて、《コンクリート圧送工》(※6)は左官屋の人じゃん。これひとつだけそうだよね。これはどういういきさつで生まれたの?スケッチできたの?
《コンクリート圧送工》(※6)
作村裕介 《コンクリート圧送工》2013 木版画、紙
作村:これはスケッチじゃなくて。さすがに仕事中にスケッチしとったら(笑)。
齋藤:仕事中にスケッチしたとしたらどう言われる?
作村:多分殺される。
齋藤:殺される(笑)。
平間:コンクリートの素材になる(笑)。
作村:そうそう。《コンクリート圧送工》はそのときの印象を元に描いている。僕は左官屋でもコンクリートとかモルタルの仕事ばっかりで。これはコンクリートの圧送工という仕事の人なんだけど。この恐竜みたいな感じのホースを持って。
齋藤:すごい太さだよね。
作村:コンクリートは鉄筋に向かってこうやって抑えこんでダァーーって流し込むんだけど。もう体中がコンクリートまみれになる。
齋藤:しぶきが来るんだ。
作村:そうそう。この時に先輩に説教させられて。
平間:させられたの?されたんだよね(笑)。
会場:(笑)。
作村:そういうところなんだよ。そういうところを指摘されて。職人の世界って僕初めてで。先輩との上下関係が非常に激しくて。先輩との上下関係を今まで重く見てこなかった、その僕がいきなりその世界に入った。それをすごい指摘されて。
齋藤:なっとらんと。
作村:そう。材料が無くなったら何も言わなくても下っ端が練りに行かなきゃいけないんだけど。材料が無くなって平気で俺は塗っとって先輩が練りに行くみたいな。そういう気遣いが足りないと。「お前この世界向いてないから辞めろ」って言われた。そのときの説教中に「あそこ(コンクリート圧送工を指差して)見てみろ」って。「その日暮らしで年金とか健康保険とか払ってないけど、体一つで働いとるという感じするやろ」って。「お前なんかこの世界で生きていくような人間じゃない」。
会場:すごい話。
齋藤:三人で二回くらい呑んだんだけど、そういう話ばっかで。
平間:壮絶だよね。お酒とか呑めないよね。
齋藤:呑みながら話してたけど(笑)。
作村:「君はこの世界におる人間じゃなくて普通の社会一般で生活している人間なんだからもったいない。こんなところにおっちゃだめだ。」と。
齋藤:もったいないという言い方なんだ。
作村:そういうことを言われて、そのときに版画としてこれを絵にせんといけんなと思って描いたのがこれです。
平間:すごいね。
齋藤:これは完全に想像を元に下絵を描いて彫ったわけだ。
作村:そう。
齋藤:そのときの印象を。確かに他の絵と見比べてこれ全然違うんだよね。他は元の写真なりがあって下絵を描いたのかなとか、そういうのがなんとなくわかるんだけど。これはすごいホースも人間もうねっている。
作村:そうそう。本当にイメージが無い状態で描いたから。
齋藤:特別な作品って感じがする。
作村:現場で作品が出てくるとしたら、多分こういう作品でしか生み出せんと思う。
齋藤:これはやっぱり左官屋の仕事を始めたから出来た絵だと思うよ。仕事の変化は「生活」のタイトルとはさっきそんなに関係ないとは思うと言ってて、確かに作村の絵描きとしてのスタンスみたいのは変わらないんだろうと思うけど、やっぱりどうしてもにじみ出てきちゃった作品っていう感じがするな。
作村:それはそうかもしれない。
平間:この作品は先輩が作った作品なのかもね。
作村:(笑)。
齋藤:お、アツいね。
平間:みたいなね(笑)。
作村:その説教がなかったらこの作品も生まれてなかったからね。
平間:これあげた方がいいんじゃない、社長に。
会場:(笑)。
齋藤:なんか、陸橋の絵とかがいくつかあるじゃないですか。それは前の個展に出していたやつだっけ?
作村:いや、それは出してない。
齋藤:あ、出してない。前にスケッチで描いた絵を下絵に使っているというのが何点かある気がしたんだよな。
平間:同じモチーフが何回も出てくる。
齋藤:これは木版画にしてみようとか、これは違うなとか思う基準みたいなのは自分の中である?
作村:あるね。それはさっきも言ったけど、印象で捉えたものとかそういうものはやっぱりスケッチじゃなくて木版画にしたい。もっと言えば昔描いていたような細密的なスケッチはこの先考えてなくて。
齋藤:あ、そうなんだ。
作村:もっと自分の印象、自分の一瞬で捉えたような印象派的な(笑)感じの作品を作っていきたいというのはあります。
齋藤:それが今回は木版だなと思って現段階に結実したという。今後どうなっていくか楽しみだね。木版はしばらく続けるつもりなんすか?
作村:そうですね。それはあります。
平間:これは向いてる感じなんだ。木版画は道具がガラッと変わるわけじゃん、絵を描いてたときと。筆ではなくて刃物を使うとか色々あるけど、そういうのは関係ないの?
作村:そういうのは関係ないです。それがなに?
平間:(笑)。画材が変わるってことが、作村には全く関係ないってことが分かった。
齋藤:ちょっと遡るけど、アクリル画から筆ペンのスケッチに変わったときも、やっぱりアクリル画より自分の感じたものを定着出来てるっていう実感はあった?
作村:あ、そうそう。
齋藤:じゃあどんどん、想いというか印象を純化させて定着させるには、という動機で色々やっている。
作村:やっぱり何か変わるときは自分が納得行っていないとかしっくりこないときだから、今は木版画ですごい納得している。
齋藤:このクマさんとかって、版画とか絵にして展覧会に出そうと思うんですみたいなことって伝えたの?本人に。
作村:クマさん、今どこで何をしているかわからない。
齋藤:最初に250円あげる代わりに絵を描いてくれって言われて描いたわけだからいいのか。
作村:最初500円って言われたんだけど。
齋藤:値切られたんだ(笑)。
作村:500円って言ってて「あ、300円しかない」って、ぱって渡されたのを見たら250円だった。
会場:(笑)。
作村:百円玉3つじゃなくて、50円玉が1枚入ってた(笑)。それも俺が一生懸命描いた似顔絵を四つ折りにして持ってたからね。
会場:(笑)。
齋藤:じゃあ肖像権とか一応了承を得てる…っていうかあまり関係ないか。
平間:それ言ったら《寿町の角打ち》(※7)とかいっぱい人がいるけど。
《寿町の角打ち》(※7)
作村裕介 《寿町の角打ち》2011 木版画、紙
齋藤:これも座り込んで酔っ払っている人が描かれてるけど、こういうのを描くときって店の人とかに了承を取るの?
作村:これは断ってないですね。
齋藤:あ、断ってないんだ。
作村:断ってるときと断ってないときがあって。
齋藤:《寿町の角打ち》は構図がいいよね。ビシっと決まっている感じがする。
作村:これは実は店の位置は逆で、版画を始めた当初なので、刷ったら反転することを途中で気づいて。この「12」とか「3」とか「ボンカレー」とかは後で直したけど、最初に彫り始めた時点で失敗して。
平間:そうなんだ。
齋藤:やばい逆だっみたいな。スケッチ描いてて何か言われたりしないの?
作村:そんなに悪いことは一回も言われたことがなくて、全部「お上手ですね〜」とか(笑)。
齋藤:歌舞伎町で描いてたらホストが上手いですね、上手いですねって褒めてくれたって言ってたよね。
作村:もう本当に、ホストの人は褒めるのが仕事だから勢いがすごい。「うぉー!うまぁー」みたいな。
齋藤:第一声から違うんだ(笑)。
作村:リアクションがすごくて、言葉っていうより。本当に嬉しい気持ちにしてもらったみたいな。俺ホストに行きたくなったもん。
会場:(笑)。
齋藤:職業柄なのか。すごいね(笑)。じゃあ、版画のもうちょい詳しい話をしますか。
作村:そうですね。
齋藤:今何分くらい経ちました?
番狂せ:30分くらい。休憩入れて喋ったらいいんじゃない。
作村:じゃあ第一部っていうことで。
平間:というわけで休憩です。みなさんはここでお酒をいっぱい頼んでください(笑)。料理もいっぱいあるんでみんなで食べましょう。
(第二部に続く)
作村:じゃあトークの第二部に移ります。別に僕達が、あの、
平間:僕達がしゃべっててもお酒が呑みたくなったら呑めばいいし。
作村:なんで俺の言いたいことわかったん!
平間:なんでもわかるよ。ご飯食べたかったら食べればいいしね。入場料二回払いたかったら払えばいいしね。
作村:(笑)。ということでよろしくお願いします。
平間:第二部が始まりますよってことを言いたいわけだよね。
齋藤:それで第二部行く前に、第一部でしゃべり忘れたことっていうのを。
平間:あったね。
齋藤:画面の縁についてちょっと気になって。《釜ヶ崎のクマさん》(※8)。これは普通に四角い画面に描いているじゃない。でも他は画面の縁が丸かったりして、デザイン的意識を感じさせるものがあるんだけど。
平間:《御徒町のガード下》(※9)は、グニャグニャだしね。
《釜ヶ崎のクマさん》(※8)
作村裕介 《釜ヶ崎のクマさん》2013 木版画、紙
《御徒町のガード下》(※9)
作村裕介 《御徒町のガード下》2013 木版画、紙
齋藤:そうそう。違いってあるの?自分の中で。こうした方がいいだろうとか。
作村:いや、ないですね。
齋藤:完全に感覚でやっているの?
作村:そうですね。
齋藤:完全な長方形は《釜ヶ崎のクマさん》しかない。
作村:本当にそういうのは悪い所でもありあれなんですけど。版木を置いて彫り始めるときに、その作品だったら四角にしたら余白が空きすぎてあれやなぁって思ったときに、こういう感じでやるとかで、全然考えてやってない。
会場:でも《コンクリート圧送工》(※10)は周りまでわざわざ削っているわけでしょう。それは縁ができるから?
《コンクリート圧送工》(※10)
作村裕介 《コンクリート圧送工》2013 木版画、スケッチ
作村:そういう質問されたら困るんですけど、考えていないんで(笑)。そのときそのときで。
平間:そうなんだ。気づいたらこうなっていたということか。
齋藤:《釜ヶ崎のクマさん》とか長方形だよね。なんていうか、背景が丸かったりしたらその枠に意識的に収めているっていう感じがするんだけど、長方形だとまだ広がっていく感じが出てくるんだと思うんだよね。収めていない感じというのが多少ある。それがクマさんの絵を見たときにクマさんのいろいろあった人生を想像させる余地を与えているというか…。木版になってすげー落ち着いた絵になったなぁっていう感じ。
作村:すごい、、そうです。
平間:(笑)。違うなら違うって言って。
齋藤:特に膨らまなかったね(笑)。
作村:これでいうと顔の皺とか髭とか、今まで生きてきた中のそういうこと。あとこれはベンチコートの内側のモアモアの所。モアモアも毛が無くなって擦り切れているみたいになっているんですけど。スケッチだと線でしか表現できなくて。木版画も線画なんだけど、ここのこういう細かい所って俺は色にもなっていると思っていて。刷ったときにここだけ薄いみたいな所。
齋藤:マチエールってやつですね。
作村:そういうことですね。
会場:(笑)。
平間:違ったら違うって言ってください。
作村:マチエールになっていて。そういう木版画の深みっつーもんがあるんじゃないかなと思っている。
平間:木版画の深みがね。あと全体的に思うんだけど、黒っぽいんだよね。
作村:あー、それはなんかすごい色んな人に言われて。最初全然意識してなくて。このテレクラのやつも以前阪本勇さんとトークをやったときも言われて。阪本さんってそこにいる、坊主の写真を撮っている人とトークショーしたときも黒いって言われて。
平間:髪型を最初に言わなくてもいいんじゃない(笑)。
作村:俺は全然意識はしてなかったんだけど。木版画の紙ってすごい高くて一枚800円くらいするんですね。木版画をやり始めたとき、俺その紙にすごい手こずって、一気に十枚くらい失敗しちゃって。
平間:(笑)。
齋藤:うわぁー8,000円。
作村:これはなんとかしないといけないと思って、インターネットで調べて木版画の先生の所に指導してもらおうと。
齋藤:メールしたの?
作村:「教室に行きたいんで教えて下さい」って。それで教えてもらって見せに行ったら「君の木版画は小学生みたいだ」って。何でかっていうと「黒が多すぎる」と。みんな木版画やったと思うんだけど、小学生の木版画って線だけでやってて黒いんですよ。その人は何とか会の大先生なんだけど。
平間:版画会じゃないの?
作村:そう(笑)。日本版画会でその頃会長やってた人。
齋藤:えーそんな偉いの。団体の数少ないの?
会場:メインの団体が一個あって、サブ的に木版画中心なのが一個かな。
齋藤:じゃあ二個くらいある中のトップなのか。
作村:宮沢賢治の本をやっているような人で。その人に「こうやって先生みたいな木版画の人たちがいるけど、やっぱり小学校の木版画の作品にはかなわん。」って言われて。
会場:結果的に褒められたんだ。
齋藤:お前はいいよ、みたいな。
作村:そういうふうに言われて、「おっ」って思って。
齋藤:「おっ」って思ったんだ(笑)。
作村:俺は意識していなかったんだけど、じゃあこのままでいいんだと思って。だからつってなんだって話だけど。だから黒いとか白いとかはそういうのは一切気にしてないです。
「実験場1950s」(※11)
→ ※11 東京国立近代美術館 60周年記念特別展
「美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」
第2部 実験場1950s
会場:東京国立近代美術館
会期:2012年10月16日〜2013年1月14日
http://www.momat.go.jp/Honkan/Art_Will_Thrill_You.html#detail
作村:わかんないっす(笑)。
齋藤:やってたんですよ。「実験場1950s」では、だいたい日本が原爆を落っことされた1945年から、60年代のネオダダとかの前衛芸術運動が生まれてくる直前ぐらいまでの時期が取り上げられていて。この資料は会場で配布されてたんだけど、すげー充実してる。この中の3枚目に「記録・運動体」っていう項目があります。
「1950年前後に民衆の中に深く浸透していった日常生活を記録する運動。その起爆剤となったのが無着成恭が編集した中学生の作文集『山びこ学校――山形県山元村中学校生徒の生活記録』の刊行であった(1951年)。」。
『山びこ学校』は岩波文庫でも出ているんだけど。「またたく間に生活綴方運動が教育の現場に浸透し」。生活綴方運動は生活の色んな機微を児童に文章として記録させる教育運動ですね。大正時代に入る前後くらいから運動自体は存在していて、その児童の作品などを載せて指導していく雑誌とかも刊行されているんですけど。えっと「生活綴方運動が教育の現場に浸透し、さらには大人の綴方ともいうべき主婦や労働者を中心とした生活記録運動へと発展していった。」と。そして「版画運動」っていう小項目がここにあるんですよ。
作村:へぇー。
齋藤:「1949年、戦前のプロレタリア美術運動の流れをくむ鈴木賢二、小野忠重、上野誠、大田耕士らによって『日本版画運動協会』が発足した。」。
プロレタリアというのは一般大衆というか労働者っていう意味合いで、簡単に捉えれば。プロレタリア美術としての木版画運動は戦前からあって、中国にも魯迅とかが提唱した木刻運動っていうのがあって日中間でお互い影響し合ってたりしてる。とりあえず1950年代前後に民衆の運動を記録しようとした版画運動があったと。そういうのが「実験場1950s」にあったなと思い出して。
じゃあ民衆版画運動についてもうちょい調べてみようと思って検索してみたら、論文が出てきたの。友常勉さんっていう部落解放運動とか本居宣長についての本を出されている人が書いた、「中国木刻から版画へ――戦後日本の民衆版画運動・序説」という論文が出てきたんです(※12)。それはさっき言った日本版画運動協会などの活動について、もう少し詳しく書いているんだけど。北関東、栃木出身とかの作家たちが多く集まってて。
論文が出てきたんです(※12)
→ ※12 [PDF] 友常勉 「中国木刻から版画へ――戦後日本の民衆版画運動・序説」
http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/59883/5/acs080011_ful.pdf
平間:北関東の人たちが多かったよね。
齋藤:そうそう。当時北関東には茨城の高萩炭鉱争議(1946年)、日立争議(1949-50年)とかの、社会運動における争点が集中していたらしくて。そこに版画という手段でどう関わっていくのかを大きな問題のひとつにしていた。版画っていうのは木の板と彫刻刀があれば彫れてすぐ複製ができる、民衆が手軽にできる複製技術だったわけですよ。2009年に目黒区美術館で炭鉱をテーマにした「‘文化’資源としての<炭鉱>展」っていう展覧会があったんですけど、そこでは北関東に限らず炭鉱の労働組合が出していた広報誌みたいなのがいっぱい展示されていて。それも表紙が木版画だったりした記憶があるんですよね。
「政治課題や啓蒙的な関心にとどまらず、北関東という農村社会と農民大衆を表現するというテーマを、内面的な責務として背負っていたとも考えられるのである。しかも、それが同時代的な政治闘争の関心に支えられていた。」。
この人たちは自分の住んでいた地元をベースにして、そこで起こった政治的な問題とかにも言及しつつ作品を展開していったというわけなんだけど。で…、作村が版画に置き換えているものっていうのは、政治的な動機から生まれるものとはちょっと違っていて。まぁ言っちゃえば昭和へのノスタルジーとか消えゆく風景だったりとか、なんかそういうものに惹きつけられていると思うんですね。
作村:そう。
平間:そうだね。複製っていう感じでもないしね。
齋藤:このまま掘り下げていくと日本の共産党の歴史とかと関わってくる話になっちゃうんだよね。そこまでズケズケ話しちゃうと作村の絵と離れてきちゃうなと思って、どこまで話していいものかなぁと考えちゃったんだけど。
作村:大衆的なもので木版画が出てきたというところと、自分が大衆をモチーフにして木版画に今取り組んでいることっていうのは共通している。俺はその話もそういう運動も知らなかったけど。こういう木版画に取り組みだしたのもそういう運動とも全く無関係でやっているのにも拘わらず、自分の中でしっくりくるっつーのは、やっぱり肉体労働とか庶民の生活とかに木版画っていうもののイメージがすごい合っているんじゃないかなって、自分の中ですごい感じていて。肉体労働とかもすごい体を使うこととなんだけど、木版画って絵のイメージもそうなんだけど、版画を彫るっていう作業自体の肉体的な痕跡みたいなものが木版画の絵から出てるんじゃないかな。それは他のアクリル絵の具とか油絵の具とかそういうものよりかは、一番出ているんじゃないかなっつーのはあって。
齋藤:そうだね。版画運動の歴史とかこの論文とか読むと、運動的なものに傾斜していくタイプの人と、象徴化された「郷土」を自分たちの生きる姿として定着させようとしていく人とで、結構論議があったりしたみたいだけど。
有名な「押仁太(おすにた)」っていうグループがあって。これは1950年くらいで、大山茂雄・鈴木賢二・新居広治・滝平二郎の頭文字を取って「おすにた」って読むんだけど。鈴木賢二は戦前から民衆版画運動に関わり続けていて、団体の指導者的な役割を担っていた。滝平二郎は切り絵でのちのち有名になって。『モチモチの木』の挿絵を描いている人。そういうイラストレーション的な流れも含まれてくるし、その文脈で言うなら作村のアクリル画やスケッチにまで遡るとベン・シャーンとか木村荘八とか…色々読み解こうとしたら面白いことはいっぱいあるんだけど。
会場(高橋辰夫):割込み失礼(笑)。僕も作村さんとは違うけど、日雇いでよく働きました。そういうところでよく思ったのは、労働者の人たちは政治的には保守の人が多いってことです。夢持っていつか俺も金持ちになりたいっていう成功欲求があって。でも、共産主義や社会主義の人には実はインテリが多くて、労働者と立場的に相容れないものがあるんですよね。彼らは労働者の側に立って世の中を良くしたい、君たちは金持ちから搾取されているから助けてあげたいって考えてる筈なのに、距離ができてしまう。本当は搾取する側である資本家の方が金や夢をくれるから、実際の労働者が加担しちゃうっていう皮肉を感じました。でも、そうやって理念から入っていくのではなくて、版画や創ることから現場に入っていく方が可能性があるのかなと。
身体性から労働者の側に入っていくと、共産主義機関誌の表紙に版画が出てきたりするのかなって(笑)。もちろん、作村くんがやっているのはあくまで労働現場に則したものを作品として見せたいのであって、政治的主張を込めたいわけでもないとは思うんだけど。
作村:全く考えたことがないですね。
会場(高橋辰夫):そうですよね。でも、結果的に出来上がったものが、労働運動なりのビジュアルと似てきているというところに可能性を感じるんです。
齋藤:それで思ったのが松本竣介なんだけど。これは松本竣介の、この前世田谷美術館でやっていた生誕100年の展覧会(※13)のカタログなんですけど。これすげーいいカタログなんですよ。
生誕100年の展覧会(※13)
→ ※13 「生誕100年松本竣介展」
会場:世田谷美術館
会期:2012年11月23日〜2013年1月14日
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/sp_detail.php?id=sp00161
平間:いいカタログ。
齋藤:松本竣介は自分含め家族が新興宗教に傾倒してたりしたけど、政治運動とかにはそんなには熱心じゃなかったのかな。《立てる像》とかが有名だけど、僕は展覧会を見て風景の絵がすごい好きだった。同じ風景をすごい何回も描いているんだよね(※14)。それぞれタッチもかなり違っていて。作村は同じ風景を何回もスケッチを描いたりして、それを木版画に直す作業をしているわけだけど、結構ひとつの行き着く先のものが出来たら、それに至るまでのラフのスケッチとかにはあんまり価値を置いてないみたいな話を前にしたじゃない。松本竣介もラフみたいなのはいっぱいあるんだけど、同じ風景も何回も描いていて。空襲で焼けちゃった神田の焼け野原を赤茶色の絵の具で描いてる。油絵の具とかが統制される前に、壺に油絵の具を入れて地中に埋めて隠しておいて、ちょっとずつ掘り出しながら描いていた。そういう…消えゆく風景というか、作村のグッとくるというのとはちょっと違うチャンネルなのかもしれないけど、この風景はどうしても絵として定着しておかなければいけないっていう衝動がすごい伝わってきたんだよね。ちょっと抽象的な言い方になっちゃうけど。この展覧会見たときにすごい作村のこと思い出した。
同じ風景をすごい何回も描いている(※14)
http://search.artmuseums.go.jp/gazou.php?id=5305&edaban=1(松本竣介作品)
松本竣介《Y市の橋》1946
平間:(笑)。良かったね。さっきの一番成功した一点とそれまでに作りつづけた数点の失敗作という話で、それは作村からしてみれば失敗作だから捨てちゃうという方向に行くんだけど。齋藤くんが作品を作る場合は成功と失敗が結構同じぐらいの価値を持ってて。全部展示ができるみたいな。そういうのは全然違うと思った、この二人が。齋藤くんは基本全部成功みたいな。
齋藤:全部成功っていうかこれはあんまりだなっていうのはあるけど。これはこの作品のラフ的な位置にあるから違うなっていうのはない。
平間:自分の中の作品カーストみたいなのがない(笑)。
会場:(笑)。
齋藤:作品カースト(笑)。それはない。
平間:でも作村の場合は割りとあって、一個成功したら他は捨てるぐらいの勢いがあるんでしょう。
作村:それは下描きってこと?
平間:そういうこと。その下描きって考え方自体を持ってないよね、齋藤は。
齋藤:持ってない。
平間:下描きと本番が完全に分離しているんだよね。
作村:そうだね。木版画の場合はそうだね。これは木版画にしようとして描いてる。スケッチでは絶対できんからっていうのは思っとって。家に持ち帰ってしなきゃ木版画はできんじゃん。だからなるべく木版画のスケッチは、さっきは捨てるって言ったんだけど。情報を極限に少なくした状態のスケッチをして持ち帰るとか。元々僕がスケッチをし始めたきっかけっつーのが、大竹伸朗の情熱大陸を見てなんですけど(※15)。
大竹伸朗の情熱大陸(※15)
→ ※15 2007年09月09日放送
http://www.mbs.jp/jounetsu/2007/09_09.shtml
平間:結構最近(笑)。
会場:(笑)。テレビっ子だなぁ。
作村:それが筆ペンでやってて、あっ俺もこれだなぁって思って。元々、コンセプトありきの作品が嫌になってて。大竹伸朗のスケッチって作品としての発表はあんまりしてないじゃないですか。
齋藤:してないのもあるね。
作村:絵を描くことを楽しんでスケッチをしているみたいなところが、画家ってやっぱりこういうことなんだなって。自分の必要としていない所っていうか、自分の作品とは無関係な所でスケッチをするっていうのが、絵を描く衝動とかそういうところに結びついとるなぁと思って。やっぱり俺もただ単純にグッときたところを描こうって思って始めたところだから。そういうところがすごい影響を受けてる。
会場:何年か前までずっとやっていた、現場で対象を目の前にしてすごい稠密にスケッチするっていう方向から、家に持って帰って版画にするっていうふうになったのはどうして?
作村:あ、それはさっきも言ったかもしれないんだけど。パッと捉えた風景の印象を作品化したいと思い始めてきて。八百屋とかでスケッチを始めたら三、四時間とかずっとするから、色んな情報が入ってきて。それを画面に入れてしまうから、自分の一番ここを見せたいというところが、細密にすることによって離れていく感じがして。だから自分が本当に一番描きたい所をラフでスケッチをして、家に持ち帰ってその印象を立ち上げたほうが、自分にとって伝えたいイメージが残る。
齋藤:ろ過されるみたいな。
作村:そうそう。現場で長時間おることによって情報が入りすぎて。自分の本当の描きたいこと以外も入ってきて、それが邪魔になってきているから木版画に切り替えたっつーのがあります。
齋藤:そろそろ質疑タイムに入りますか?
会場(高橋辰夫):作村さんの年齢や、おそらくは中流なんじゃないかなと思われる生活感から考えると、作品における労働者や、喪われつつある「昭和」への眼差しが少し不思議な気がするんです。もしかしたら、今の等身大の目線や衝動ではなく、ある種のシミュレーションみたいなものかなと思うんですがどうでしょう?
作村:シミュレーションっていうのは?
会場(高橋辰夫):そうですね、言い換えると、作村さんの経験ももちろんあるとは思うんだけど、それ以上に、脳内で思っているだろう、本来あるべき「昭和」の幻影を、作品を通じて幻視しているような感覚を受けるということですかね。
平間:そうですね(笑)。
会場:それはエキゾチシズムじゃないかって話があったよね。
会場(高橋辰夫):そういう話があるんだ。
齋藤:要するに、自分の生活とはちょっとかけ離れたところにある生活っていうものに、何かしら憧れっていうか興味がある。
作村:それはすごいあります。すごいある。
齋藤:あ、やっぱりあるんだ。
作村:それは自分自身がそうだからとか、元々そういうわけじゃないから。自分が育ってきた環境とかをすごい感じてて。感じたのは、商店街の風景つーのが小学校から中学校くらいまでにすごい変わったんですよ。それは具体的に言うと小泉総理が出てきたときに変わったと思ってる。今から言えば。じいちゃんばあちゃんが床屋をやっていて、その商店街の人たちが地域社会を作ってきたんだけど、それがコンビニとか大型ショッピングセンターできたときに風景がガラッと変わった。俺が駄菓子屋に行っとったときの後輩が、コンビニで駄菓子を買い始めたような感じになっていって。それがすごい自分の中にあって。そういうものに憧れるっつーか。なくなっていくものに対しての憧れもあるし。子供のときに床屋で待ってたり、そういう所でお客さんとかがいてしゃべっている風景とかも離れていくというか。そういうものに対してのものもあって。それを自分の中で追いかけているっていうところもある。俺はそれを大切なことだと思うから。俺はグッときているから描いていると言っているかもしれないけど、ちょっと使命感的な所で描いて展示をしているっていうのもなくもない。
齋藤:俺はそういうところで松本竣介に近い目線を感じるんですね。
平間:でも作村が追いかけているっていうのは普通の意味とはちょっと違っていて、多分Taxxaka(高橋辰夫)さんからしたら追いかけ過ぎているということだと思う。いわゆる今の二十代の人間が追いかけている以上に追いかけているんじゃないかと思っているんだよ。いきなり昭和に入っているみたいな(笑)。追いかけている地元の商店街の風景がいきなり地元を超えて、もうちょっと一段階古いところに行っているんだよね。というのは僕も思いますけどね。そこがシミュレーションっぽい。
齋藤:象徴化された昭和よりもさらに古い段階に。
会場(高橋辰夫):《中野の酒場》は実際にああいうバーなのかもしれないんだけど、あれを見ると1930年代のバーかと思っちゃう(笑)。
会場:(笑)。
平間:作村裕介(108歳)みたいな(笑)。もう死んでいるんじゃないかみたいなのがある。
会場(高橋辰夫):この展示、相当前の巨匠の回顧展みたいな。
会場:(笑)。
会場(高橋辰夫):わかるけどすごい不思議なんです。
平間:そうなんですよ。わかる気もするけど、それちょっと行き過ぎなんじゃないのっていうのはあるよ。多分誰にもあると思うな。
齋藤:これが平成20年代のものを見て描いているっていうことが、結構捻くれた感じで魅力になっているんじゃないかな。
会場(高橋辰夫):《御徒町のガード下》にしたって、3000年の絵ですって言われても、もしかしたら通用するかもしれない。
平間:SFチックな。
作村:いやもちろん、平成生まれのアーティスト的な感じの感覚にものすごい憧れるっっていうところはあって。齋藤さんがやっていた「間欠泉」(※16)とかで活躍されている作家とかと俺は全然違うタイプの絵で。最近の人間なのにって。こうやってみんな現在の絵を描いてるのに、俺はこういうのを描いていて大丈夫なのかなって思う。
会場:(笑)。
「間欠泉」(※16) → ※16 「間欠泉」 齋藤祐平が企画するライブペイントイベント/展覧会。多数ゲストを呼ぶときもあれば企画者の齋藤1人でやってみたり、イベントスペース的な場所以外にも公園や民家でやったりと、場所や形態を変えつつ開催。 http://blog.goo.ne.jp/hintandgesture/e/d3121473916a630b70e4f94be6879cb8
平間:そうだよね。
作村:「間欠泉」とかでやっとる人たちを見て俺は全然かけ離れたことをやっとって、すごい置いてかれとるというか。きゃりーぱみゅぱみゅとか本当にもうすげーなって思うんですね。感覚として全然無い感覚だから。
会場(高橋辰夫):僕から見るときゃりーぱみゅぱみゅと作村くんはそんなに遠くないんですよ。
平間:シミュレーションっていうことでいうと。なんていうか、方向は違うけど。
会場(高橋辰夫):方向は違う。
齋藤:そう考えるとすごい作村作品の間口が広がるよね。
会場(高橋辰夫):わざわざテレクラの看板を描く感覚が新しい。
平間:しかも木版画でっていう。でもグッとくるっていう視点で本人の中では完全に同じものとして繋がっているんだよね。
作村:そうそうそう。
平間:でもそれが狂っているって言っているところ(笑)。でもそれでいいと思う。
会場:すいません。普通版画って刷った内の何枚って書いてあるんだけど、これは?
作村:この《釜ヶ崎のクマさん》はA.P.で、自分の持っている作品で。他は1/5って書いてます。1/5って書いてある作品以外は、自分の作品も飾ってあとは刷って売りますっていう。限定5枚だけだけど。
会場:でも版画ってある程度刷った方が良くない?版が慣れてきて。
作村:そういうの知らないから。そういう質問は困ります。
会場:(笑)。
平間:でも作村自身は刷るのはもちろんだけど、彫る方がなんかグッときている感はあると思った。
作村:あーそうだね。
平間:三角刀しか使っていないとか彫るところの話は結構出ているから。やっぱり彫っているときの木を削っている感が好きなんじゃないかな。
作村:そうだね。うん。
会場(高橋辰夫):現場で彫るっていうのはおもしろそうですけどね。
作村:あーそれはあるかもしれないですね。
平間:あるかもしれないんだ(笑)。これまで素材を変えてきたように、ここから変わるっていうことはありうるからね。
作村:っていうか俺本当に今思ったんだけど、質問されたら困りますね。
会場:(笑)。
作村:シミュレーションという言葉とか言われても俺そんなこと考えてないっつーか、これが好きでやっているから。仕事場で昭和歌謡とかを車の中で流したりして「なんで好きなの?」って言われたら、めんどうくさいから「昭和が好きなんですよ」って言っとるけど。単純にそれもあって。
会場(高橋辰夫):社会は今、ショッピングモールが増えて既成の商店街がどんどん畳んでいくし、老人がどんどん増えて超高齢化になってきてる。それは寂しいっていう感覚は僕にもあるんだけど、それはどうしようもないじゃないですか。そういうことについてどう思いますか?
作村:いやですね。そういう感覚は多分誰よりも強いって思っています。
齋藤:誰よりも強い。
作村:なるべくならそういう小売店とか商店街とか床屋とかに、お金を落としたいなっていうのはやっぱりあるし。多分みんなそう思っとるんじゃないかなって。
会場(高橋辰夫):でもじじばばになってしまうと、やはりウォシュレットがないと嫌だなあとか、最近はそれもわかる歳になってきたんですよね…。
作村:そういう便利なものとの矛盾との戦いはありますよね。だって俺昭和の最後の生まれの方だから、テレビもあるしポットもあるし。昭和30年に生まれた人間じゃないから、やっぱりそういう昔がいいからって電子ジャーを使わんで、全部かまどで米を炊いたりとかそういうことはしないですけど。
会場(高橋辰夫):そうですね。そこはどっちを取るかではなくて、どっちも正しいですよね。
齋藤:そうそう。
会場(高橋辰夫):作村さんの絵には、そうしたジレンマを伴って、見ている人に迫るところがあって、そこは凄いなと。
齋藤:あー、そこはすごいいいですよね。
平間:それは今回の素材の木版画とかね、そういうところからも出てくるんだと思うな。
齋藤:確かにそういうことに対して自分がどう態度でいるのかっていうのが、作村の絵を見て感じさせられるところはあるかもしれないですね。
平間:というぐらいで今晩は。
齋藤:質問はちょっとやめるか。
平間:そうだね。段々ピンチになってくるからね(笑)。
作村:俺考えていることがブログで言っていることと一緒だから、それ以外はないんですよ。こういう大事なものがあって、俺はそういう人間の野性的な部分を見たいっていう、それだけで。世の中のそういう広がりとか、それとは関係ないです。
平間:そうだね。昭和の最後の方生まれで、地方出身者で現在東京在住で、そしてかなりモーレツな気概を持っている人間が、今は木版画をやっている。多分それ以外は何もないんじゃない。
作村:そうですね(笑)。そうかもしれない。
平間:(笑)。
作村:ではこんなところで。
平間:じゃあ個展初日の挨拶を最後に。
作村:今日は来ていただいて、どうもありがとうございます。僕はこうやって自分の作品について話すのは一人では難しくて。
平間:ちょっとね苦手だということで。
齋藤:(笑)。
平間:それで平間と齋藤を呼んだいうことで。
齋藤:お前が全部言ってるじゃん。
平間:(笑)。
作村:平間さんと齋藤さんがこういう奥行きのある話をしてくれて。俺は本当に、
平間:表面的な(笑)。
作村:表面的なことしか、薄っぺらいことしか言えないですけど(笑)。だからそういうことです。今の話はすごい良かったんですけど、一番大切なのは、もう本当に二人には申し訳ないんですけど、そういうこと抜きにして作品を見て欲しいということです。
会場:(笑)。
作村:だから今の話を置いといて作品を見て、それであんなこと言っとったなぁみたいなことを思い出していただければ。
平間:だから作村の展示の場合、作村の絵が僕らが後からつけた話の挿絵になるわけじゃなくて、絵の方が中心になっているわけだから、そうやって見てねってことだね。
作村:そうそう。そうです。いやでもありがたいですね。
平間:感謝ということでおしまいでよろしいでしょうか?(笑)。
作村:うん。だからみんながどういうふうに見たのかなっていうのはすごい気になる。自分が床屋とかそういうものが好きで、そういうものに憧れて描いとるっていうのを、勘違いしてもいいけど、みんながどう見てくれたんかなっていうのはすごいある。今日はどうもありがとうございました。
会場:パチパチパチパチパチパチパチ
【終了】
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